明々後日のビシャモンテ

双極性感情障害パンセクゲイのひとりごと

8/2 何がしたい?

8/2 28:34 屋上にて。

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何がしたいんだろう?

 

私は考える、とにかく考える、しかしなにも分からない。

 

何日経っても、何年経ってもわからない。

 

あとどれだけ考えればわかるんだろう?

 
 

ひたすらに考えれた、私のやりたいこと、私の夢、私の目標、私の憧れ。

 

きっと言葉に現せない、この考えはいつまで経ってももやもやの中なんだ。

 
 

大きな挫折、小さな挫折、そこから得たものを積み上げてしまえばきっと何かわかる気がした。

 

だからたくさん動いた。

 

でも、何も見えてこない

 
 

私はまた考えた、

 

もしかしたら私は何もやって来なかったのかもしれない
ただただ、時間を流れるように毎日を息をしていただけなのかもしれない

 

何も得られてはいなかったのかもしれない

 
 

何処へ向かっているのだろう?
この汚れた世界で、何をしたいんだろう?

 

わからない

 

誰か教えてほしい

 
 

色んな人に聞いてみた。

 

先輩、後輩、先生、郵便局長、音楽業界のマネージャー、講師、旅行者、留学生
ニート、SE、保育士、等々

 
 

色んな思いを知ることが出来た

 
 
 

出来たんだけど、だからどうしたって?私は結局何もわかっていない。他人は他人なんだ、私がしたいことを教えてくれる訳じゃない、導いてくれるわけでもない、私はいつだって私だから。

 
 
 

2秒前に死にたかったのも私だし、
恋人に好きって言われて有頂天な3秒後の私も私であるし、

今日も明日も明後日も私な気がするんだ。

 
 

人生の主人公はいつだって私自身。
この主人公の物語を素晴らしく素敵なものにしてあげたい、そしたらきっと私は喜んでくれるはず。

 
 

その為に頑張りたいんだ。
私が死ぬとき、私に向かって素敵な人生だったね、そう言ってあげられるような

 
 

悔いを残して現実に嫌気が差して自ら人生を終わりにしてしまった者の気持ちを左手首の傷跡を眺めながら、私は今日も生きているんだ。

 
 

痛いのはきらい、苦しいのもいやだ

 

じゃあなんだって、毎日やりたいだけゲームして、食べて、寝て、起きて、動画見ながらTwitterをして、ゲームして、食べて寝て、煙草吸ってお酒飲んで、寝る。

 

そんな素敵な日々、ある意味理想なのかもしれないけれど、それは幸せではなかったんだ。

 

私の追い求めた幸せはもっと高くて手の届かない所にある気がするんだ。

 
 
 

私自身に価値が欲しかったんだ。
私が生きている理由が欲しかった。
私は誰かに必要とされたかったんだ。

 
 

理想と現実、
夢と絶望を対比させながらまた少し泣いた。

 
 

変わらない変わろうとしない下らない私自身を鏡で見たときに、あんまり楽しそうじゃなかった

 

眠れない夜を明かして、屋上で絶望しながら煙草吸って、朝日が登るの眺めたとき、

 

あまりにも、朝焼けが差すこの世界が私が息しているこの広がりのある景色が、それはあまりにも美しく綺麗だったから、また少し泣いた。

 
 

泣いたって私は美しくならない。
涙の数だけ強くなれるのであれば
きっと最強だと私は思う。

 

けど、もしかしたら涙の数だけ強くなれるのが本当の意味で事実だとしたら、私はまだ泣き足りないのかもしれない。

 
 

たくさん泣いて、涙の意味を知り、私の無力さを知り、私を育てていかないと、いつまでもわからないままなんだ。

 
 
 
 

私、もっと知りたい、
私が生きている意味を、

 
 

だから私の名前を呼んでほしい
いつか、私が飛べる日まで。

 

 

どんなに輝いている人でも、必ずどこかで苦しんでいる、挫折し、涙を流している。

何かを、捨てている、本当に、全てが全てうまくいく世界なんてないんだ。

 

今まで以上に

中身のない日記を書いてしまった。笑

6月28日 嫌いだと指差したモノが鏡に映る自分だったら。

こんにちは、ゲイが嫌いなゲイです。(厳密に言うと別にゲイだとかバイだとか定めているわけではないので何者かと言われたら何者でもないのかもしれない。男も女も好きっちゃ好きだし、パンセクシャル?)

けどホモフォビアか、と言われたらそうでもないです。

 

オーランド乱射事件のニュースやそれに関して書かれた記事などを見て、何を思ったか。

 

自分もゲイが嫌い、なんというか、存在自体が嫌というわけではなく、嫌いな面がとてつもなく多い、という表現が適切なのかもしれない。

そんな自分もゲイだから、そんな自分も嫌いなんだ。

 

 

そりゃあ、イケメンが街を歩いていたら目で追ってしまうし、筋肉マッチョが居たら触りたくなる、ビシッとスーツ着てるリーマンが居たら顔と股間を交互に睨んでしまう。

 

そんな自分が、嫌だ。

 

学内でラグビー部が良い体で楽しそうにノンケノンケしてるのをどうしても目で追ってしまう。イケメンにはどうしても優しくなってしまうし、ブサイク野郎にはどうして厳しくなってしまう。

 

そんな自分が、嫌だ。

 

「ともだちなのに、おいしそう」

 

そんな自分が、嫌だ。

 

 

まぁそんな感じでたくさんの嫌いな自分が胸の中で渦巻いている中でも、ゲイが滅びれば良いのに、みたいな過激な発想をしてしまう自分にも理由がある。

 

今現代、Twitter1つでたくさんの人と絡むことができるし、出会うことだってできる。

 

 

現役体育会系イケメンマッチョくんがジムでパンツ盗まれた、銭湯で盗撮された、なんて案件を耳にしてしまうともうイライラが止まらない。それでその子はホモフォビアになってしまうんでしょう。そりゃあ悪いのはその悪事を行ったホモ野郎であるから。

 

街中で、地下鉄、電車の中でイケてるリーマンを見つけたらすかさず無音カメラで盗撮しネットにアップするゲイだっている。もちろんそそられるし、良いおかずになるし、Twitterでファボだって付けて保存をしてしまったりもする。そんな自分に嫌悪感を抱きながら、こんな犯罪行為をするアカウントをフォローしている自分を憎みながら、そのアカウント主に感謝と怒りを感じてしまう。これもどう言ったって悪いのはそのホモ野郎であるから。

 

私自身も、銭湯に行きのんびり体を洗ったりサウナ入ったりお湯に浸かってまったりするのが好きなんだけれども。やっぱり"そういうところ"にもゲイって溜まってしまうんですよね。というか、自分がよくバイト帰りに寄る銭湯(そこがホモの溜まり場と知っているけれど、職場近くだし安いし、家でお風呂にお湯を張ることも皆無なのでよく寄ることがある。)は地域で知れたハッテン銭湯なんですよね。どう見たってあいつもこいつもこっちの人じゃん!って輩が何人もいらっしゃる。

別にただ温泉楽しんだり、お湯に浸かってる"ついでに"、"あばよくば"良いカラダとか眺められたらいいなぁって言うのであれば全然無害だしどうぞどうぞお好きなように、って思うんですけれども。どうもそんな優しい世界じゃないようだ。

 

私のスペックとして、そこそこ運動筋トレしてるし多少は良いカラダだと思う、外で遊ぶことも多いし日焼けもしてて、なにより若い(笑)、だからこそ、クソ野郎なホモの餌食になりやすいんだけれども、やっぱりあるんだよね。

湯船を移動するたびについてくるやつとか、サウナ入ったら隣にぴっちりくっついてくるやつ、伸びをするついでに軽く触れてくるやつ、やたら話しかけてくるやつ、真向かいに座り込んでチンコ勃たせて見せつけてくるやつ、もうそいつら全員死ねよ!って思うんだ。それくらい、ゲイである俺でさえイライラしてしまう。なんなんだこの世界、こんな腐った世界だったのか、というかお前ら一体何を考えてるんだ、人のこと考えたことないのか、何もかも自分主体で生きているのだろうか、そんなんだから世の中でホモフォビアが次々増えていくんだよ。何が同性婚だパートナーシップ制度だよ、自分らが誠実に行動で示していかないとそんなこと実現するはずないんだよ。

 

とか言っちゃいながら、飛びっきりイケメンだったり、最高のガタイのお兄さんとかに手を出されたらホイホイついていっちゃうんですけれどね。そんな自分が大嫌い。

 

 

それに、「どーせ、こんな人生、こんな世の中、こんな生活」って諦めてしまってるゲイがいることも事実だと思う。顔が良いわけでもない、身体を鍛えてもモテるわけでもない、どうがんばったって報われることがないなんて、諦めとともに落胆してる、そんな人だっているかもしれない。そりゃ行きづらいことの方がどうしたって多いもん。投げやりになったり、自分主体で動くしかなくなったりもするさ。

 

周りみてても、どうしたって溶け込めないものが多すぎる、それはわがままかもしれないけれど、自分に嘘つかなきゃやっていけないことだって沢山ある、それも試練かもしれないけれど、どこかで疲れてしまう時だってあるんだ。

 

 

誰が悪いとか、そんなことわからないんだけど、

そりゃ、周りに迷惑かけて害撒き散らすのはそりゃイケナイんだなぁって、そのために(こんな表現もまた違うかもしれないけれど)発展場っていう空間があるんだから、さ。

それか、自分を極限まで磨き続けていけば、なんか変わるんじゃないかなって自分は怒りと共に思いました。

 

それでも悲しみは要らない。僕も僕自身を好きになれる時が来ると信じて..

6/14 口契約のシンデレラ。

弓がしなり弾けた記憶。

 

失恋---これは誰が経験しても辛いものだと思う。

私は人を嫌いになることが全くと言っていいほどない、だから一度好きになってしまったら親でも殺されない限りずっと好きなんだ。

今まで付き合ってきた歴代の彼氏も彼女も、今だってずっと好きなんだ。

 

「付き合う、ってことは契約だよね?」

私は大学一年生の時に付き合っていた彼氏と、付き合うか付き合わないかのいちゃ着きつつももよそよそしい感じの一番楽しい時期に次期の彼氏にそう聞いてしまった。まぁその次期の彼氏もすぐさま元の彼氏という呼び名に変わってしまったんだけれどね。

 

そう、付き合う、って一体なんなんだ?

一種の契約みたいなもんでしょう?私たちはここで契約を結び、愛し合う、だから他の人に浮気してはいけないし、出会い系サイトで会った人とセックスしてもいけない、何をするにも契約が有効となって自分自身を苦しめてしまうんだ。しかし、この世の人たちはその"契約"を交わしたがる。

 

わざわざ

「はい、あなたと、私、付き合います」とまるで呪文でも唱えるかのように詠唱を口に出したらそこから契約が結ばれる。しかし時にはその契約が有効でない時や、破られてしまう時だってあるんだ。

 

そんな生きる足かせにしかならない契約を、どうして人はしたがるのだろうか?

 

確かに、契約を結んだあとは

「ああ、私には今、私を好きだという確信を事実に変えた契約が結ばれているんだ。=愛されている証拠なんだ」と

得体の知れない"証拠"を自分自身に突き立てて恍惚とさせてしまうような麻薬の効果だってあるんだ。

 

 

僕と契約して私の恋人になってよ?

 

そんな契約は必要なんだろうか、どうせ破られてしまう、時には破ってしまう。くだらない契約なんて自分を縛ってしまう首輪みたいなものなんだ。

 

だって、たまたま出会った人とたまたまセックスしちゃったらそれは後悔や背徳感にしかならないでしょう?

だからそうなんだよ。無駄な首輪。足枷にしかならない。だけれども人は、付き合うことに意味を求めたがる。

 

私はその意味がわからない。けれど、あなたとずっと一緒にいたいしキスをしたい、抱きしめていたい、手をつないで、映画でも見ながらそのまま寝落ちしたい。したくない??

 

したいんだけれども、それは、友達とは意味として違うんだろうか?いや、違うってことは私にだってわかる。普通友達とはキスしないしセックスだってしないからだ。

 

 

私はわからない、未だにわからないんだ、付き合うという意味、その契約の必要性。

 

それはヘテロセクシャルでないからだろうか?

もし私はストレートな人間だったら"其れ"に意味を見出せたのだろうか?

 

結婚という形、終焉、婚約指輪の交換、指輪という名の首輪。付き合っている証、そんなもの何もかも...

 

 

そんなもの何もかも、私にはわからない。

契約済みの証でしかない、でも契約を破る人だって世の中には大勢いるんだ、契約の有効性って?

 

自分自身を縛るためのものじゃないか、あるいは自制心を高めてくれる魔法防御装備みたいな、所詮そんなものでしかないんだ。

 

ずっとずっと、付き合うって意味がわからなかったんだ。ただ、付き合っていた、でも付き合っている、そんなような日常が楽しいって思えることもたくさんあったんだ。なのに、なのに、なのに、

 

交わした約束忘れないよ、目閉じて確かめる?

わざわざ契約を結ばなくたって私は満足だった、ただ君と一緒に居る時間が楽しかった、これからたくさん思い出を増やしていけるんだって思うだけで幸せだった。電話をしてるだけで頑張れた、強く抱き締めてくれるだけで生きていけた。

 

だけど、君が"付き合おう"っていうから、君のせいなんだ、契約を交わして、晴れて彼氏になったんだ。

 

なのに、勝手に契約を交わさせといて、君から離れていっちゃうんだね。この契約は有効じゃないの?

君が一言「別れよう」って言うだけで狭いベッドで一緒に寝た思い出も、語り合った夢も、遊びにいく計画も全部壊れて、崩れ去ってしまうの?

 

離婚届はその契約をお互いに同意しないと解除できないから素晴らしいよね。首輪につないだ愛しき人をずっと"自分の伴侶"とし留めておくことができるブラックカードなんだよね、婚姻届だって。

 

男女も結婚まで行かなかったらそりゃそうだろうけど、私たちはどうなんだ、結婚のゴール、口契約よりもずっと硬い上位互換の契約もない、子供が産まれて第二の人生が始まるわけでもない、いやだからなんなんだ!俺は同情が欲しいのか??慰めて欲しいのか?こんな自分に生まれてしまったこの世界に喧嘩を売ってるのか?違うんだ!!!

 

わかってほしい、付き合うことは、始まるってことは、何かを始めることはつまり終わりがあるってことなんだ。だったら、君は私のことがきっと好きなんだろうし、私も君のことが気になってしかながない、デートして、思い出作って、楽しいねって、其れでいいじゃないか、なんの契約も交わさずに、そのまま消えてしまってもさぁ、悲しいねって。後悔してしまうのかな、、なんて。アホらしいね。

 

 

いいよ、勝手に去っていけばいいさ、

どれだけ昨日まで好きだって言ってくれてたって、冷めてしまって別れようと伝えた途端冷たくなってしまうんだね。まるで別人になってしまうんだね。それは契約を破棄してしまった罰なのであろうか、勝手にそんな姿になってしまったんだろうか。

 

ああ、かわいそうに、じゃあ呪いが全身を駆け巡ってしまわぬように殺してしまわないと。

 

そういうことなんじゃないかなって、少し思う。もちろんそんなことをしないしそんなことをやろうと1ミリたりとも思うこともない。

 

 

 

あれだよね、いくら愛してるって言われたって信用できなくて、尽くしてもらっても、なんかダメなんだ、こんなに私も好きでずっとにいたいと思っても、最期までゴールすることってよくわからないんだよね。

なんかの小説かTwitterかどこかで見たことがあるんだけれど、そうなんだ、結局はさ、恋人に何を求めてるのかって、何をしてくれれば満足なのかって、どうすれば私のことを好きでいてくれるかって証明になるとしたら、「私のために死んでくれること」がある意味の終着点、HAPPYENDだったのかもしれないね、って。

 

そんな文章に同情してしまう私もそうとう拗らせているが、無論、こんな文章を綴ったblogを書いてしまう時点でとことことことん拗れに拗らせてしまった1人なんだからしょうがないよね。笑って許してもらうしかないよね。

 

はぁ〜幸せになりたい。

余談だけれども、恋人と別れた翌日に、新しい出会いがあり、その勢いと流れで付き合ってしまったのは最高にウケるよね。口契約のシンデレラかよ。