3/25 針と夢の風船、割り直せ。
やりちもの、なりたいものってなんだろう?
ふと、あれも!これも!全部やりたい!ってのが私あるある。
けれど現実としては何か一つを一極集中させないと成功は低いらしい。ただ確率がぐんと下がる。超人にならないと不可能。
まぁ、超人になればいいんだけどね!!!!
っていう超前向き人間で実際にそれに伴う行動力などが備わっていればやり抜けるだろうと思うが、そこまで超人ではない。笑
その上とっても崩れやすい豆腐メンタルと来たもんだ。笑うしかない!
いや、笑い事で笑顔を大満開で自分も幸せになるのならそれでいいけれど、それじゃよくない。よくないのだ。これじゃよくないのだ。
自分のやりたいこと、本当にやりたいことって聞かれたら、昔からの、中学生くらいからの夢である音楽プロデューサーである。
自分は音楽でやっていきたい。本当にこれは私の掲げる大目標である。
水曜日のカンパネラ、すごい、すごいよ、すごい好き。
でも、とてつもなく嫉妬してしまう。自分と同い年くらいから始めた子が大成功してるのが、一番胸に、ぐっと突き刺さる。
まぁ、同い年くらいからってのはVOCALのコムアイだけで、ケンモチさんやFさんはバリバリ30越えのTHEプロフェッショナルって感じなんだけれどね。
これらを本当に自分らだけでできたら、私のこの20代前半という若さで成し遂げられたらどれだけかっこいいだろうだとか、夢を叶えられたら、なんてことも思ったりもする。
この水曜日のカンパネラの「ミツコ」
有名な話だけれど、実際に起こった殺人事件を元に作られた小説「恋と罪」と言う映画が元ネタとなっている。
ちなみにこの小説で好きなセリフは「愛がなければお金を取らなきゃ」です。セックスにおいて、ね。
すごく、すーっと心のそこに落ちていった。素敵なセリフだと思った。
この小説や映画、みたらまた感想を書きたいと思う。
それを知った上でこの「ミツコ」をもう一度聞いてみたいとも思う。
「お前はきちんと落ちてこい!」その意味を、本当の意味でわかるのではないだろうか?
ここでとりあえず、水曜日のカンパネラの名を出したが、本当に憧れる。嫉妬する。
私も、私だって。って、思ってしまう。
叶わないものなのだろうか?敵わないものなのだろうか?
私の思いが、足りないのだろうか?わかってる
行動がともなってないと、あの頃言われたことを思い出すんだ。
本物のアーティストの知人の家に泊まりに行った時、
私も音楽でやっていきたい、って行ったんだ。
そしたら「本当にやりたいのであれば、それに向けて努力しているし、既にやっているよ」って。
悔しかった、ドーーーーン、雷が心の上澄みに溶けていった。
溶けきれないくらいに、差さりもせず、じわじわと蝕んでいった。
そうなんですよ。私は行動していない。これじゃダメだとわかっているのに行動していない、やらなくちゃ、やらなくちゃ。
そうなんだよ、私にはやらなきゃいけないことがあるんだ!
なりたいもの、叶えたいものがあるんだ!負けたくない、負けない、やるっきゃない。けれど、一人でできるものもあるが、アイコンも必要なんである。
素敵な女の子いないかなって、思うけれど、今の私には手に負えない化け物でもある、だからこそ、共に戦えるよう、私自身に力があるって見せられるだけのものを作っていかなければいけないんだ。それが全てなんだ。ここで落胆しちゃいけない。
私のファン、いるのだろうか?
少なくとも、私の作品、私の歌、私の生き方を好きと言ってくれる人が一人でもいるのなら私は最強だ、その人を喜ばせるために生きていくだけだ。
やりたいことたくさん。まとめなきゃいけない。
最近この意味のわからないBlogでしか発信というものをしていないから、実際に作って発表して、作って、発表してをしていかなければいけない。
死んでたまるか。やってやるんだ。
人の為と書いて偽りと言うのか、人の夢と書いて儚いと言うのか、
自分の夢をどう描いていくのか、いつどの時期にわかっていくのだろうか。
流されるままと耐えていてはダメなんだ、流していかなきゃ。
リストを作ってただひたすらやる。それが2017年なのかもしれない。
キャンプや海、ウェイウェイ旅行するのは散々楽しんだだろう。
しかも若さというものを振りかざして、お金をほとんど掛けずにふらふらしてきた。だけど変わるんだ、自分で、自分で稼いで、自分で発信して、自分で遊んでいくんだ。そのために、そのためには!!!!
黙々と向き合う時間が必要だ。自分にはそれが必要だ。
そうすればできるはずなんだ。
浪人時代を思い出せ。あの暗くて冷たくて逃げる場所もなくて、将来もわからなくて、けれど前にあるものをこなしていかなかった、あの、あの地獄の1年を思い出せ!あれをもう一度しようじゃないか、やってやろうじゃないか。しかも今回はあの時とは違い自分で全部やらなきゃいけない。生活費を、家賃を稼いで、その上勉強していくんだ、なかなかのハードモードだ。でももし、このまま淡々と学生生活を続けていって、とりあえず就活ってなって、就職したとする、そしたらもっと時間なんてなくなってしまうじゃないか!どうするんだよおい!おそらく企業に就職したらしたでガッツリやっていきたい派だからまた周りが見えなくなる、その場で明確なレールが目に見えてくるからこそ、そこそこの収入を得ることができるだろうがその一方で何も、手を広げる余裕や時間をひねり出すことなんてさらに険しくなるかもしれない。
砂漠でオアシスを、いや、線路を見つけることと、
渋谷の交差点で前世の師範を見つけ出すこと、どちらが難しいのだろう?
そういうことなのかもしれない、難しい、たとえもよくわからない。
WHAT'S THE HELL!???????これに尽きる。
白黒はっきりつけることが正義なのかもしれない。グレーはいつも悪である。その体一つに白も黒も塗られているのであれば、何にでもなれるのかもしれない。グレーは本当の意味で"なにか"である"すべて"であるけれど、結局は"なんでもない"、Nothiingなのである。
正義か悪か、はっきりしない奴が結局は最後の敵なのである。
自惚れるな。都合のいい立ち位置が勝利をつかむなんてうそっぱちだ。
格好良くなりたい、20代初期、やれることは全部やらないと。
でも全部やってては効率が悪い、定めて、狙い撃っていかないと。
数撃ちゃ最後には当たるかもしれないけれど、それが30,40超えてからじゃ遅いんだ!だから、だから私は今からでも動かなきゃいけない。今できることを、出来ることすべてを神経研ぎ澄ませてやっていかなきゃいけないんだ。
3/24 線路のない春。
3/24 28:04
整理しなきゃいけないことがたくさんある。
今自分は迷子である。途方に暮れ朝が終わっても進むべき道が何も見えない状態でいる。
どこに進もうにも、現在の場所がわからなければどこへ行くこともできない。
どこにだっていけないんだ。
あの頃はどこにだっていけたはずなのに。
あの頃って?高校?中学?大学入りたての頃?
思い出すときはいつのとき?
思えばいつも迷子だった気がする。いつも何かしらに悩んでは悶えて夜は眠れず、朝が来て考えながら電車に乗って、とりあえず行かなきゃいけない場所へ向かっていた。
とりあえず行かなきゃいけない場所というのは、学校なりバイトなり、つまりそういうところである。
朝が来れば行かなきゃいけない、理由はわからないけれどそうやって教え込まれて成長してきたからだ。
でもいつからかそれに疑問を持つようになった。
疑問とは、きっと生まれなければ悩まない些細なことたちであった。
「嫌だ」その気持ち一つが生まれるだけで人はぐんと何もできなくなるってこと。
僕は高校の時半不登校気味であった。まぁ学校には言っていたけれども、憂鬱で、居場所もなく(まぁ一応ある、という感じではあるけど)なぜここに来るのかわからなかった。
とりあえず通過点。え、でも通過点ならただ待ってればいいの?って。
みんなと同じが嫌だった、みんなと一緒はいや、自分は自分でありたい!って
でもそれは違った、今ならば言える、みんなと一緒がいい、みんなと一緒のが楽、みんなと一緒の方が楽しいって。今ならばわかるんだ。
どうして、人と違うことが素晴らしいなんて思ってしまったんだろう。
レールから脱線してしまったらただただ生きづらい、這い上がることの難しい険しい荒野が広がっているだけだ。
線路は見つからない。どこにも見つからない、でもどこかにはあるらしい、それしかわからない。次第に荒野は砂漠へと進んでった。でもどこにも見つからない、僕の線路。
ああ、最初から、まぁそこそこの家庭に生まれたのであれば、最初からそこそこのレールは敷かれているハズだ。なのに乗らなかった自分が悪い。勝手に途中下車して歩いていこうって決めた自分が悪いんだ。
どうして降りちゃったんだろう。きっと蜃気楼が見えたのかもしれない、思い描いていた蜃気楼が、見えたのかもしれない。どこかに。
このまま進んでいてはダメだって、このままではクソつまらない人生を歩んでいくことになるって、よくわからないまま下車してしまったんだ。
最近、ルームシェアを始めた。男女7人一つの場所で暮らすという攻めっぷり。
理由は簡単、あの学生寮を飛び出したかったから、あそこにいる理由はそこまで大きくなかったから。それと引っ越したかった、途端に違う場所で暮らしてみたいと思ったから。学校や職場、遊び場近くだといろいろ嬉しいかなって思って。
ぱっと下見に行って、うわっと決定した。勢いも大事なのかもしれない。
もしも線路があったのだとしたら、無理やり自分で変えていかない限りただただ続いていく路線から見る景色を文句言いながら座って眺めていくだけで終わってしまうかもと思ったから。
ねぇそうでしょう?
正解はわからない。自分の居場所はわからない、どこへ行くのかもわからない。けれど、私はいまここにいる!!!っていう明確な現在地点を無理やり自分自身に訴えかけることで何か変わると思ったんだ。
入居して一週間もまだ立っていない。個室もなくプライベートな空間なんてトイレくらいだ。けれど不思議と居心地がいい。このシェアハウスの仕組みが素敵だからかもしれないけれども、なぜか居心地がいい。
住人もみんな面白くて素敵な人たちっていうのもあるかもしれない。
影響を受けながら、自分が変わっていく。順応し、変えようともがいていく、いい影響も、悪い影響も、わからないけれども、受け入れて、取捨選択をして、自分へと昇華させていく。
そろそろ自分の人生、本格的に考え直さなくちゃなって思ったから。
あとは考えて、いや、考えてもわからなかったから行動に移したんだ、そう、行動してみなきゃわからないことだらけだ。行動してやっと感情がついてくる。ただ引きこもって屋上から街並みを眺めながら悶えてたって何も変わりはしなかった。ただ自分に酔って、わかったふりをしていただけなんだ。これが幸せなんだって、胸を張れないまま叫んでただけなんだ。
だから私はもがく、もがき続ける。
今年は2017は、勉強のとし、勤勉に生きて、遊ぶのはちょっと我慢して、自分とちゃんと向き合って、線路を自分で作っていく年にしなきゃなって思いました。
がんばろうやで。やんなきゃ変わらない。遥か遠くからでも。
3/17 中高生からお金を毟り取れ♪
Twitterなどネットでお金儲けをしている人たちを見て。
FXやレートや株で収入上げでドヤしている人たちはどうでもいい、人の勝手である。成功しているのならば素敵なことだし、どうやっているのか私も知りたいくらい。
どこか苛立ちを感じるのが、ネットで家庭教師や情報提供などと称して中高生や中高生の親からお金をむしり取っている人たちに不満を感じてしまう。
やり方といえば、ブログやTwitterなどで客を集め、勉強を教えたりする代わりに報酬(&アフェ収入)を稼いでいくと言うやりかた。どこにでもある、よくあるやりかた。
最近の流行りでもあるし、ある意味頭がよく使えているのかもしれない。効率よくお金を稼ぐ、とても大事なことだ。
その子が受験を受かろうがそうでなかろうが、知ったこっちゃない、責任は持たない、時間があるときにやる。バックはよい、けれどやってることはぶっちゃけ中高生からお金を毟り取っているようなこと。
まぁ、こういうの利用してうまく活用できている人はいいだろうし、お互いwin-winな関係だからこそ続いているのだろうけれども、大して内情も知らない中高生がお金出して現状から脱出しようとしている一方でそれを利用してお金儲けを考える大学生。問題と捉えることもなく背中押してしまうようなその親も親だけれども、塾に通わせるようなお金も余裕もきっとないのかもしれない。
このグレーゾーンのwin-win関係によってそこらへんの大学生はお金を儲けているのを目にする。でも、
こういう人に限って今月はいくら稼いだ〜だなんて自慢している。
結局は稼ごう稼ごうって頭を働かせた結果うまくやっていけてるのだと思う。
塾講師なんて待遇悪い上に現状給料がそこまでいいとも限らない、生徒をゴールまで届ける責任感も付いてくる。予習も復習も、その子の為を思うと頑張ることなんてたくさんたくさんあるわけだ。
だから人は頭を使って楽することを考える。考えて、考え抜いて、見つけ出したんだ、中高生からお金をむしり取ることを。
ぶっちゃけ中高生の時なんてお金がどう回っているかなんてそれほどわかったもんじゃなかった。
ターゲットをそこらにしてお金儲けを計画したらあとは実行するだけ。
東大京大を目指している〜ような学生じゃない限り英語数学程度なら誰だって教えられる(もちろん一定以上の大学に通っている人であれば)。
中高生からお金を毟り取る。毟り取るっていう表現が適切か、正しいのか、悪なのかはわからないけれども、やっていることはそういうことなのである。きっと。
けど、つまりお金を稼ぐってことはそういうことでもあるよなって思った。
お金を稼ぐために、自分も楽して幸せになって相手も幸せになるようなそんな素敵な話はない。
相手も都合のいいように幸せになるしかないんだよ。
これでよかったと、終わって見なきゃわからない幸せしかそこにはないから。
お金儲けってそういうことでもあるんだよねきっと。
人を良い意味でも悪い意味でも騙して、毟り取って、都合の良い風に回していく。それがお金儲けなのかもしれない。
嗚呼、無慈悲である、とても悲しいことであるけれど、現実的なことである。お金を稼ぐってことは。
本当に設けるためなら情けなんていらない、情けなんて考えてられないんだよ。
商売に魂を売った人がネズミ公やア/ム/ウ/ェ/イなどに手を出して、自分にお金がわんさか入る一方でその人の周りの人たちを悲しみに沈めて行く。
情けなんていらないんだよなぁきっと。
私の知り合いで40歳で早期リタイアしたシステムエンジニアがいる。
けれど、その人はそこでは終わらなかった、自分がさらに稼ぐためにどうしたか?
社長に、次々と仕事をこなし、業務や業界をよくしていく代わりに人事権をわたしにくれと頼んだそうな。人事の権利を手にいれたその人は、自分で書くプログラムや仕事ぶりで次々とシステムを効率化、簡略化、効率化と繰り返していき、次々と使えない奴の首を切っていった。
そりゃ例えば月30万の給料だとしても、2人切ったとしたら60万浮くわけで、その分半分貰う、と約束していたとしたら地震の給料が2倍になる。その人は仕事ができて、システムエンジニアとしての役割をきっちり果たして社内貢献をしていたから何も誰も不満はないだろう。むしろお金が浮いて、社内も上手く循環していったのだから。しっかりと仕事ができる人だ。
本人も自覚して言っていたが
「だけれどもやっていることは悪魔のことだよ笑」と。
「使えない奴の首をどんどん切っていって給料上げているんだから、いつ誰に暗殺されてもわからないw」と。
けど、真っ当なことでもあると思う。そりゃ使えない人は切り捨てて余分な資金使いたくないし、少数精鋭で上手くこなしていけるならそりゃした方がよい。
けれど、切られていくものは容赦なく切られていく。
嗚呼、無慈悲である。
リストラされた者の後先なんて誰も知ったこっちゃないさ。
でもお金を稼ぐってことはそういうことなのかもしれない。
そういう、残酷さもときにはあるのかもしれない。
というか、残酷さが伴うものなのかもしれない。
誰かを傷つけることなくお金をボロ稼ぎするだなんて、そんな回りくどく難しい選択肢を取るよりかは、手っ取り早く競争ラインに立って戦って首を取って賞金として引き換えた方が簡単なのかもしれない。
だから、難しいのかもしれない。情けを持ってしまったら、上へ上へは稼いではいけないのかもしれない。
キャッチだって、似たようなもの。
街中でサラリーマンを捕まえたとする。とても良い条件で本当に心からお薦めしたいお店はAだとする。だけれども自分の利益などを考えると、イチオシ!!ってわけではないけれども手持ちの中からサラリーマン達の条件には合ってるそこそこなお店である上から5番目くらいにお薦めのBのお店を紹介し連れていく。
これがビジネスってもんだけれども、それに違いはないけれども、これが現実なんだよね。そうやってお店も、客も、キャッチも、お金もぐるぐると回っていく。
やってることはみんな似たようで同じことなんだよ。
偽善を翳して、悪魔の鉄槌。自分さえ、自分だけでも幸せになんなきゃ!
周りのことなんて気にしてられない。そういう世界なんだよもう。
こんな世界にした人間が悪いんだけれども。逆に慈悲を無くしてお金儲けだけを優先させていったらどのように稼ぐことができるのだろうか?
そりゃさ、自分もやってて楽しいことをしてお金を稼いで幸せになって、それで相手も喜んでくれて幸せになって、周りもみんな幸せになってくれたらそれが一番嬉しいんだろうけれど、それはきっと難しい。
だから手っ取り早く悪魔との共同作業するのがいいんだよね。
うーん。
君が笑ってくれるなら、僕は悪にでもなるってやつ?
難しいね本当に、お金を稼ぐって、とても難しい。
お前が消えて喜ぶ者に、お前のオールを任せるなってやつだな。
自分の金は自分で稼げ、自分の人生は自分で選べってやつだな。
ビジネスってなんなのだろうか?これで幸せになれるのだろうか?
未だによくわからない。噛み砕いて理解できていない。