3/25 LOSER SPRING。
3/25 29:00
取り残されていく日々。
桜ひらひら舞い降りて落ちて、いつか雨の中春よ来いを繰り返し聞きながら電車で目的もなく座り続けた、あの公園でこれからの大学生活を描き続けた、不安から解放されたあの日を思い出す。
3年前、私は1年間の浪人生活を終えて、大学に合格した、第一志望ではない、1,2,3,,,,4,,,くらいの、結局収まるところに収まってしまったという感じである。でも嬉しかった。人生で私は大学にたった1つしか合格していない。
あの頃は、わからなかった、この先のこと。
もちろんこれからの先のこともわからないし、あの頃わからなかったすぎた日々たちも、後悔しながらも愛おしく見える。
Facebookを開く。高校の同級生たちがみんな素敵な笑顔で、卒業式という素敵な舞台で咲いている。みんなみんなやりきった顔をしている。
何事も他人をみては一喜一憂してしまうので比較することは大そう愚かなことではあるが、みんな眩しくて仕方がない。眩しい。悔しい。素敵だ。
みんなから1年、そして2年、私は遠ざかっていく、行き遅れていく。
ただただ大学生活を送っている人たちと比べたら私はいろんなことを経験している方だと自分に言い聞かせて強がってきたが、不思議と後ろめたい気持ちでいっぱいになる。
I'm a LOSER どうせだったら遠吠えだっていいだろう
俺はきっとLOSERだ、でも胸張って生きていかないとやっていけないさ。人生自分の手でリタイアさせることがどれだけ苦しいことか。
だったら自分のこの手で掴み取るしかないってわかってるんだけれどね、けど、「さぁがんばろう」って思ったって、途端にここから勝利に向かう道のりを想像するだけで、その苦労や、疲労を想像するだけで胸がいっぱいになるんだ。
「ああわかってるって、深く転がる、俺は負け犬」
ローリンボーイだって、何度歌ったって、転がり続ける先にはなにがある?
もう一回、もう一回、私は転がり続けてますって、転がってったって半径86cmでめいいっぱい両手広げて振り回したって、ちっぽけな自分は何も変わらないんだ。あがいていかなきゃ。
自分はLOSERだって、今、自分を受け入れられた気がする。
きっといつかって願うまま、その時を待っていたって、駄目ですよね。
とりあえず今年やることを宣言してみようと思う。
・ちゃんと学校へいく(何を言っているのかこいつは)
・単位を取る(何を言っているのかこいつは)
・筋トレを習慣化させて理想の身体を作り上げる
→週3で必ずトレーニングをする、1日30分でもいい・p0
・英語を本当の意味で自分のものにしていく
→定期的に英語圏の友達とLINE、通話を日常化させる
・資格を確実に取得していく
→FP,FE,TOEIC,とかおか
・やってきたものを自分のもとに、自分の武器に、自分の力に。
・毎週毎時間決まった場所でライブをする。
→アコギの再練習、手っ取り早い
って、これだけ書き綴ってもやらなきゃいけないことが多すぎる件。
だから、勤勉に生きようと思う。超人になるんだ僕は、超人になってやるんだ。そうすれば、変われるはず、変わろうとしなきゃ変われない。
そう、だから引っ越しをしたんだ、とにかくまず環境を変えた。
私ならできるはず、どんな辛いことが待ち受けてようとあの時の悲しみを超えることなんてそうそうない、そう、だから強くなれる。
強いんだ、乗り換えた私は。まぁ、今でもひきづっているけれども。
そろそろ彼女の誕生日がやってくる。けれど君はいない。
一生歳を取ることのない人の誕生日を祝うのはタブーかもしれないけれど。それでも桜が咲いて、散っていく頃には空を見上げるんだ。
私の大好きな曲、「春よ来い」にはEnglish ver.のアレンジがたくさんアップされている。
サビの「春よ、遠き春よ〜」の部分、
意訳だが 「Celebrate the new life that we see」
私たちが目にする、新しい命を祝福しよう。と
この春よ来い、自分にとっては彼女の追悼の曲、レクイエムでもある。
この曲を聞き続ける理由でもあり、私の人生でもある。
だけれども、Celebrateなのだ。とても素敵だなって思った。
少し涙も出た。命は尊い、儚くて、人間は脆弱な生き物である。
自分もそんな、生き物なのである。きっと気を抜いたら死んでしまう...
けれどいつも気を張っていたら、それも死んでしまう、とても難しい生き物である。
全てをわかった上で、わからないままで、わかったふりして生きていかなやいけないなぁ。がんばらんと
3/25 針と夢の風船、割り直せ。
やりちもの、なりたいものってなんだろう?
ふと、あれも!これも!全部やりたい!ってのが私あるある。
けれど現実としては何か一つを一極集中させないと成功は低いらしい。ただ確率がぐんと下がる。超人にならないと不可能。
まぁ、超人になればいいんだけどね!!!!
っていう超前向き人間で実際にそれに伴う行動力などが備わっていればやり抜けるだろうと思うが、そこまで超人ではない。笑
その上とっても崩れやすい豆腐メンタルと来たもんだ。笑うしかない!
いや、笑い事で笑顔を大満開で自分も幸せになるのならそれでいいけれど、それじゃよくない。よくないのだ。これじゃよくないのだ。
自分のやりたいこと、本当にやりたいことって聞かれたら、昔からの、中学生くらいからの夢である音楽プロデューサーである。
自分は音楽でやっていきたい。本当にこれは私の掲げる大目標である。
水曜日のカンパネラ、すごい、すごいよ、すごい好き。
でも、とてつもなく嫉妬してしまう。自分と同い年くらいから始めた子が大成功してるのが、一番胸に、ぐっと突き刺さる。
まぁ、同い年くらいからってのはVOCALのコムアイだけで、ケンモチさんやFさんはバリバリ30越えのTHEプロフェッショナルって感じなんだけれどね。
これらを本当に自分らだけでできたら、私のこの20代前半という若さで成し遂げられたらどれだけかっこいいだろうだとか、夢を叶えられたら、なんてことも思ったりもする。
この水曜日のカンパネラの「ミツコ」
有名な話だけれど、実際に起こった殺人事件を元に作られた小説「恋と罪」と言う映画が元ネタとなっている。
ちなみにこの小説で好きなセリフは「愛がなければお金を取らなきゃ」です。セックスにおいて、ね。
すごく、すーっと心のそこに落ちていった。素敵なセリフだと思った。
この小説や映画、みたらまた感想を書きたいと思う。
それを知った上でこの「ミツコ」をもう一度聞いてみたいとも思う。
「お前はきちんと落ちてこい!」その意味を、本当の意味でわかるのではないだろうか?
ここでとりあえず、水曜日のカンパネラの名を出したが、本当に憧れる。嫉妬する。
私も、私だって。って、思ってしまう。
叶わないものなのだろうか?敵わないものなのだろうか?
私の思いが、足りないのだろうか?わかってる
行動がともなってないと、あの頃言われたことを思い出すんだ。
本物のアーティストの知人の家に泊まりに行った時、
私も音楽でやっていきたい、って行ったんだ。
そしたら「本当にやりたいのであれば、それに向けて努力しているし、既にやっているよ」って。
悔しかった、ドーーーーン、雷が心の上澄みに溶けていった。
溶けきれないくらいに、差さりもせず、じわじわと蝕んでいった。
そうなんですよ。私は行動していない。これじゃダメだとわかっているのに行動していない、やらなくちゃ、やらなくちゃ。
そうなんだよ、私にはやらなきゃいけないことがあるんだ!
なりたいもの、叶えたいものがあるんだ!負けたくない、負けない、やるっきゃない。けれど、一人でできるものもあるが、アイコンも必要なんである。
素敵な女の子いないかなって、思うけれど、今の私には手に負えない化け物でもある、だからこそ、共に戦えるよう、私自身に力があるって見せられるだけのものを作っていかなければいけないんだ。それが全てなんだ。ここで落胆しちゃいけない。
私のファン、いるのだろうか?
少なくとも、私の作品、私の歌、私の生き方を好きと言ってくれる人が一人でもいるのなら私は最強だ、その人を喜ばせるために生きていくだけだ。
やりたいことたくさん。まとめなきゃいけない。
最近この意味のわからないBlogでしか発信というものをしていないから、実際に作って発表して、作って、発表してをしていかなければいけない。
死んでたまるか。やってやるんだ。
人の為と書いて偽りと言うのか、人の夢と書いて儚いと言うのか、
自分の夢をどう描いていくのか、いつどの時期にわかっていくのだろうか。
流されるままと耐えていてはダメなんだ、流していかなきゃ。
リストを作ってただひたすらやる。それが2017年なのかもしれない。
キャンプや海、ウェイウェイ旅行するのは散々楽しんだだろう。
しかも若さというものを振りかざして、お金をほとんど掛けずにふらふらしてきた。だけど変わるんだ、自分で、自分で稼いで、自分で発信して、自分で遊んでいくんだ。そのために、そのためには!!!!
黙々と向き合う時間が必要だ。自分にはそれが必要だ。
そうすればできるはずなんだ。
浪人時代を思い出せ。あの暗くて冷たくて逃げる場所もなくて、将来もわからなくて、けれど前にあるものをこなしていかなかった、あの、あの地獄の1年を思い出せ!あれをもう一度しようじゃないか、やってやろうじゃないか。しかも今回はあの時とは違い自分で全部やらなきゃいけない。生活費を、家賃を稼いで、その上勉強していくんだ、なかなかのハードモードだ。でももし、このまま淡々と学生生活を続けていって、とりあえず就活ってなって、就職したとする、そしたらもっと時間なんてなくなってしまうじゃないか!どうするんだよおい!おそらく企業に就職したらしたでガッツリやっていきたい派だからまた周りが見えなくなる、その場で明確なレールが目に見えてくるからこそ、そこそこの収入を得ることができるだろうがその一方で何も、手を広げる余裕や時間をひねり出すことなんてさらに険しくなるかもしれない。
砂漠でオアシスを、いや、線路を見つけることと、
渋谷の交差点で前世の師範を見つけ出すこと、どちらが難しいのだろう?
そういうことなのかもしれない、難しい、たとえもよくわからない。
WHAT'S THE HELL!???????これに尽きる。
白黒はっきりつけることが正義なのかもしれない。グレーはいつも悪である。その体一つに白も黒も塗られているのであれば、何にでもなれるのかもしれない。グレーは本当の意味で"なにか"である"すべて"であるけれど、結局は"なんでもない"、Nothiingなのである。
正義か悪か、はっきりしない奴が結局は最後の敵なのである。
自惚れるな。都合のいい立ち位置が勝利をつかむなんてうそっぱちだ。
格好良くなりたい、20代初期、やれることは全部やらないと。
でも全部やってては効率が悪い、定めて、狙い撃っていかないと。
数撃ちゃ最後には当たるかもしれないけれど、それが30,40超えてからじゃ遅いんだ!だから、だから私は今からでも動かなきゃいけない。今できることを、出来ることすべてを神経研ぎ澄ませてやっていかなきゃいけないんだ。
3/24 線路のない春。
3/24 28:04
整理しなきゃいけないことがたくさんある。
今自分は迷子である。途方に暮れ朝が終わっても進むべき道が何も見えない状態でいる。
どこに進もうにも、現在の場所がわからなければどこへ行くこともできない。
どこにだっていけないんだ。
あの頃はどこにだっていけたはずなのに。
あの頃って?高校?中学?大学入りたての頃?
思い出すときはいつのとき?
思えばいつも迷子だった気がする。いつも何かしらに悩んでは悶えて夜は眠れず、朝が来て考えながら電車に乗って、とりあえず行かなきゃいけない場所へ向かっていた。
とりあえず行かなきゃいけない場所というのは、学校なりバイトなり、つまりそういうところである。
朝が来れば行かなきゃいけない、理由はわからないけれどそうやって教え込まれて成長してきたからだ。
でもいつからかそれに疑問を持つようになった。
疑問とは、きっと生まれなければ悩まない些細なことたちであった。
「嫌だ」その気持ち一つが生まれるだけで人はぐんと何もできなくなるってこと。
僕は高校の時半不登校気味であった。まぁ学校には言っていたけれども、憂鬱で、居場所もなく(まぁ一応ある、という感じではあるけど)なぜここに来るのかわからなかった。
とりあえず通過点。え、でも通過点ならただ待ってればいいの?って。
みんなと同じが嫌だった、みんなと一緒はいや、自分は自分でありたい!って
でもそれは違った、今ならば言える、みんなと一緒がいい、みんなと一緒のが楽、みんなと一緒の方が楽しいって。今ならばわかるんだ。
どうして、人と違うことが素晴らしいなんて思ってしまったんだろう。
レールから脱線してしまったらただただ生きづらい、這い上がることの難しい険しい荒野が広がっているだけだ。
線路は見つからない。どこにも見つからない、でもどこかにはあるらしい、それしかわからない。次第に荒野は砂漠へと進んでった。でもどこにも見つからない、僕の線路。
ああ、最初から、まぁそこそこの家庭に生まれたのであれば、最初からそこそこのレールは敷かれているハズだ。なのに乗らなかった自分が悪い。勝手に途中下車して歩いていこうって決めた自分が悪いんだ。
どうして降りちゃったんだろう。きっと蜃気楼が見えたのかもしれない、思い描いていた蜃気楼が、見えたのかもしれない。どこかに。
このまま進んでいてはダメだって、このままではクソつまらない人生を歩んでいくことになるって、よくわからないまま下車してしまったんだ。
最近、ルームシェアを始めた。男女7人一つの場所で暮らすという攻めっぷり。
理由は簡単、あの学生寮を飛び出したかったから、あそこにいる理由はそこまで大きくなかったから。それと引っ越したかった、途端に違う場所で暮らしてみたいと思ったから。学校や職場、遊び場近くだといろいろ嬉しいかなって思って。
ぱっと下見に行って、うわっと決定した。勢いも大事なのかもしれない。
もしも線路があったのだとしたら、無理やり自分で変えていかない限りただただ続いていく路線から見る景色を文句言いながら座って眺めていくだけで終わってしまうかもと思ったから。
ねぇそうでしょう?
正解はわからない。自分の居場所はわからない、どこへ行くのかもわからない。けれど、私はいまここにいる!!!っていう明確な現在地点を無理やり自分自身に訴えかけることで何か変わると思ったんだ。
入居して一週間もまだ立っていない。個室もなくプライベートな空間なんてトイレくらいだ。けれど不思議と居心地がいい。このシェアハウスの仕組みが素敵だからかもしれないけれども、なぜか居心地がいい。
住人もみんな面白くて素敵な人たちっていうのもあるかもしれない。
影響を受けながら、自分が変わっていく。順応し、変えようともがいていく、いい影響も、悪い影響も、わからないけれども、受け入れて、取捨選択をして、自分へと昇華させていく。
そろそろ自分の人生、本格的に考え直さなくちゃなって思ったから。
あとは考えて、いや、考えてもわからなかったから行動に移したんだ、そう、行動してみなきゃわからないことだらけだ。行動してやっと感情がついてくる。ただ引きこもって屋上から街並みを眺めながら悶えてたって何も変わりはしなかった。ただ自分に酔って、わかったふりをしていただけなんだ。これが幸せなんだって、胸を張れないまま叫んでただけなんだ。
だから私はもがく、もがき続ける。
今年は2017は、勉強のとし、勤勉に生きて、遊ぶのはちょっと我慢して、自分とちゃんと向き合って、線路を自分で作っていく年にしなきゃなって思いました。
がんばろうやで。やんなきゃ変わらない。遥か遠くからでも。