明々後日のビシャモンテ

双極性感情障害パンセクゲイのひとりごと

12/21 夜空と恋と抗えない冬。

クリスマスだから

 

クリスマスなのに

 

クリスマスだけど

 

クリスマスとは?

 

 

あなたにとってクリスマスとは?

 

 

 

外は冷え切っている。

窓を開けてベランダに出ると、

肌がピキっと凍て着きそうになる

靴下さえも履かないまま、

そのまま見える景色を眺める。

煙草に火を点ける。

俺の住んでいるこのタワーマンションからは

名古屋の街が一望できる、

大学生にしては少し豪華なところに住んでいると言われるが、

4人でシェアをして暮らしていると言うと、

だいたいの人が納得してくる。

 

シェアハウスはとても楽しい、

好きなアーティストの話をしたり、

ライブやドラマを観ながらお酒を飲んだり、

適当に駄べりながらリビングで寝転ぶ、

各々が自由な生活をしていて、

食事も、風呂も、仕事も、

各自が好きなように好きな時間に行っている。

 

かといって役割分担というものは無く、

ルールも特に無い中でうまくやっていけてるのは、

みんなそれぞれが気付いたら掃除をし、ゴミを出し、

片付けをし、言われなくても空気を読む、

そんなことが出来ているからだろう。

 

きっとノリや空気が合わない人が引っ越してきたら、

全部崩れちゃうのかもくらい弱く儚いものだろうけれど、

俺はこの家が大好きだ。

 

とても温かいもので溢れている。

 

ふと思うんだ、俺はこの家に甘え過ぎていないのか?

帰って来れば誰かしらおかえりと言ってくれる、

出かける時は行ってきますと行ってらっしゃいを。

 

それってたいそう得難い幸せの形の一つであるんじゃないかな。

 

きっと1人だったらやっていけない。

 

強がりで、弱い部分を人に見せるのが恥ずかしくて、

気張ってしまうことが多々あるんだけれども、

きっと一人暮らしなんて寂しくて寂しくて潰れてしまうし、

 

その寂しさを紛らわせるために、

毎晩毎晩いろんな知らない人を連れ込む様な、

そんな淋しい行為をまた繰り返してしまうだろう。

 

でもいつかこの家を出て行かなきゃいけないことがある、

どんな気分なんだろう?

 

その時は、きっとちゃんと大学を卒業して、

自立して、1人でもやってけるくらい金銭面も落ち着いて、

精神的にも安定して、前を向いて歩いていける気がする。

 

 

この家に住んでいれば、

ひとりぼっちのクリスマスはきっと来ない、

SNSを開いたり、街に出かけなければ、

曲がり角で飛び出してくる自転車にぶつかる様な、

世間に溢れている幸せの形とやらの景色を、

目に焼き付けてしまうことも、

勝手に目に入ってきてしまうことも無いだろう。

 

 

...

 

 

それでいいのか?

 

 

俺はいったいどうなりたいんだ?

何処へ向かって頑張っているんだ?

まさか、まさかとは思うけれども、

目的地も決めないまま走り出してるんじゃ無いのか?

 

でも、じっとしていられないから、

走り出すしか無いんだよ。

 

けれども、恋愛の話になるとなにもかも強くなる、

後先ばかり気にしていて、

"今"自分がどうしたいのか、何も定まっちゃいない、

 

きっと一緒にいたい、

そばにいたいし、思い切り抱きしめたいし、

思い切り抱きしめられてあなたでよかったと、

そんな安心感のなかで眠りたい、眠れない。

キスして、どこまでも深く深く、一つになっていきたい。

 

でもそれで満足なのかな?その先は?

 

 

そんなことばかり考えてしまう、

この悪い癖が自分で自分の首を絞める原因に、

そして敗因になってしまうんだろうか。

 

 

 

自分に自信が無い、

だから俺が好きになるような凄い手の届かない様な人に、

振り向いてもらえるなんて思えない、

だからもっと頑張らなきゃ、頑張らなきゃと思う。

 

誰かが言った、"好きになった方が負けだよ"

知ってる。

胸に突き刺さる。

 

かといって、そんな素敵な人に

追いかけてもらえる様な魅力的な人間にまだ

成り得てない自分がいるんだ。

 

そこまで俺のことを愛してくれる

絶対的な自信が欲しい、確証が欲しい、不安になる。

 

大丈夫だよ(^^)って、LINEを送る、

スマホを握りしめながら、現実は泣いている、

本当は甘えたい、駄目になっちゃうくらい甘えたいんだ。

 

でもそんなちやほや願望のある野郎なんて

きっと直ぐに飽きられちゃうかもしれないって、

ただひとり不安になっているんだ。

 

馬鹿だよね、馬鹿なんだよね、

じゃあどうすれば幸せになれるだろう?

 

 

別に定義しないことなんじゃ無いかな、

前を向いて、胸かきむしって、叫べばいい。

目の前にあるすべてのことを愛して、

一つ一つの山を一歩ずつ超えていくしか無いんだ。

 

去年の自分を見返していると、

その時よりはきっと強くなれてるんだと思えるから。

小さな幸せ噛み締めて、歌でも歌えばいい。

 

12/6 今大人になりたくて、なれなくて。

夢に向かって、歩くだけ

溺れ出すのはまた別の話。

 

 

今やるべきことは決まってる。

ちゃんと勉強して

ちゃんと学校へ行って

ちゃんと課題を出して

ちゃんとバイトして

ちゃんと毎日を生活していくことなんだ。

 

 

逆に言えばそれすらも今までは出来ていなかったってこと

自分の欲望のままに行動して

毎日取っ替え引っ替えセックスして

ふらりふらりと東へ西へ、

適当に出会い系アプリで会った人と代わり映えのないやりとり、

適当に飯食ってTwitterにつぶやく。

 

そんな毎日が充実してな買ったといえば嘘になるけれど、

それで満足できたか?と聞かれると首を縦に振れない。

 

 

何処へ行けば傷つくことはなくなるだろう?

 

ずっと考えている、あの頃から。

おそらく高校3年生の頃からずっとだ。

あの時からずっと夢見てた。いつかいつかと、

 

でもその"いつか"はいつくるの?

どのタイミングでやってくるの?

誰も教えてやくれないことは知っている。

 

あまりにも自由度の高いRPGだから、この人生は。

 

 

 

何処かへ行こうと思えばきっと何処へでもいける。

けれども楽して生きていけるような甘い世界でもない、

目指すべきところが未だに定まってないのかもしれない。

 

 

すこしだけ定まってきたとは思う、

つまり「やるべきこと」が明確になってきたんだ。

 

けれども、その先にある"やりたいこと"って一体なんだろう?

 

 

 

わからないけれど、具体的ではないけれども、

"自由"が欲しいんだと思う。

 

誰にも邪魔されないような自由が。

 

そのためには絶対的なお金が必要。

今まで苦労してきた悩みの大半は

ぶっちゃけお金で解決できることばかりだ、

お金がなきゃ何も始まらない。

 

そしてそこから次に必要になってくるのが時間。

どれだけお金があっても遊ぶ時間がなかったら意味をなさないと思う。

 

 

俺が18に出会って今でもつるんでる大阪のメンバー

俗に言う大阪でのホモグループ。

 

みんな年末年始はタイへ行きパタヤでバカンスしてやりたい放題して

行きつけの飲み屋ではひたすらに騒いで、

この人たちが支払額気にしてるところはこの6年間見たことがない。

もちろん削るところはケチって無駄を作らないようにしてる。

本当に尊敬する。

俺もこの人らみたいになりたいななんて思ったりすることも多々あった。

この人たちについていくためにも少なくともお金がとにかく必要だと思った。

 

 

 

 

とかも思うけれども、もし年収1,000万あって、

平日月から金まで働くが17時にはきっちり退社出来て、

休もうと思えばいつでも休みが取れる、

そんな生活がなんだかんだ一番現実的な手の届く自由なのかもしれない。

 

きっと、素敵な人が1人でもいれば、はっちゃけられる友達が数人いれば、

それでできることは無限に広がるんだと思う。

 

だから弱気になってないで自分を貫いてみないとなって思うんだ。

 

 

ハードルは高く、だけれども誰よりも現実は見ているんだ。

今までのこの辛く孤独な数年間、見えないところで沢山泣いたし

理不尽な毎日がずっと続くんじゃないかって常に不安だった。

 

 

とにかく今は自由がない、何故ないのかというと

常にお金に困っているからという理由がとても大きい。

ならば稼いでやろう。でも今は春を売ることしかできない。

逆に言えば今しか出来ないことであるけれども、

これに関してももっと目標と目的をもってみても

いいのではないかなと思った。魂売って商売してるんやから。

楽しよう、楽しようだなんて考えてちゃマンネリ化しちゃう。

 

 

俺が望むセカイはきっとこんなんじゃない、

もっとやりたい放題したい、ついてこれるなら着いてこい、

そう胸を張って行ける人間になりたい。

 

わがままも貫ける、そんな価値のある人間に、俺はなります。

11/22 灰を被って舞踏会。

ガラスの靴を投げ捨てて、走り出す。

それが私のシンデレラ。

 

 過去記事。

bisyamonte.hatenablog.com

 

 

 

シンデレラは過酷な生活の中

王子様と出会い結ばれる、一発逆転な話である。

そのことから、素敵な下克上のことはシンデレラストーリーなどと呼ばれる。

 

それは本当に幸せなのか?

 

人生を物語と例えるならば、

この作者は何を考えているのだろうか?

 

そして、

物語において人生とは幸せでなければいけないらしい

もしそうなら私の毎日は人生とすら呼んじゃいけないよ

 

 

 

あの時

「うちに来てアタシのヒモになりなよ。」

 

「アタシはお金には困ったことがない。」

 

「あなた学校もやめて辛く苦しい日常から抜け出したくない?」

 

「何でも欲しいもの買ってあげるよ。」

 

「金もコネもあるから、やりたいことがあるなら言ってね?」

 

 

六本木に住む億万長者からのお誘い。

嬉しいことに俺の容姿や性格を気に入ってくれたらしく、

本気で惚れ込まれた話。

 

 

改めて考える。

 

 

 

文字どおり身を売って、遊びも我慢して働いて、

周りが楽しく飲み会サークル旅行をしている中勉強して、

反吐が出るようなサービスをしてお金稼いで生きているんだ、

そんな憧れないわけがない。

 

けれど、何でも手に入ってしまう生活、それが幸せ?

他人の力で大出世してしまうことが、望んだこと?

 

きっとこういうところが捻くれているんだろうな。

 

素直に受け入れてやりたい放題やっていれば、

きっと楽しく明るく刺激的な日常が待っていたはずなのに。

 

 

どこからどこまでが美徳なのか、

はたしてどこからが悪徳なのか、

 

例えば、援助交際がいけないこと言うのか、

パパ活は許されることだというのか、

例えば、ネットであったフォロワーに

晩御飯や交通費をおごってもらうことは、正義というのか?

 

そんなよくある話でも、人の価値観は違うらしい。

 

恋愛における

「どこからが浮気なの?」と似てるよね。

 

私がそうと決めたら、きっとそうなんだ。

例えば、定期的に資金を援助してくれる存在は

いったい何と形容すれば許されるのだろう?

 

 

もう既に

プライドを捨てて、泥臭く生きているのに、

捨てきれないプライドと信念が邪魔をする。

 

自分の力で勝ち上がらなきゃきっと意味がない。

這い上がったその先から見える景色はきっと美しいだろう。

 

だから"どんな手段を使ってでも"

だけど"自分の力で"

 

絶対に幸せになってやるんだ。

 

 

終わることのない悲しみを喜びに。

 

 

きっと、諦めは僕を救うだろう。

何処へ行けど傷つくこともなくなるだろう。

 

 

そう思うと今日も生きていける。