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明々後日のビシャモンテ

大学生のひとりごと

6月28日 嫌いだと指差したモノが鏡に映る自分だったら。

こんにちは、ゲイが嫌いなゲイです。(厳密に言うと別にゲイだとかバイだとか定めているわけではないので何者かと言われたら何者でもないのかもしれない。男も女も好きっちゃ好きだし、パンセクシャル?)

けどホモフォビアか、と言われたらそうでもないです。

 

オーランド乱射事件のニュースやそれに関して書かれた記事などを見て、何を思ったか。

 

自分もゲイが嫌い、なんというか、存在自体が嫌というわけではなく、嫌いな面がとてつもなく多い、という表現が適切なのかもしれない。

そんな自分もゲイだから、そんな自分も嫌いなんだ。

 

 

そりゃあ、イケメンが街を歩いていたら目で追ってしまうし、筋肉マッチョが居たら触りたくなる、ビシッとスーツ着てるリーマンが居たら顔と股間を交互に睨んでしまう。

 

そんな自分が、嫌だ。

 

学内でラグビー部が良い体で楽しそうにノンケノンケしてるのをどうしても目で追ってしまう。イケメンにはどうしても優しくなってしまうし、ブサイク野郎にはどうして厳しくなってしまう。

 

そんな自分が、嫌だ。

 

「ともだちなのに、おいしそう」

 

そんな自分が、嫌だ。

 

 

まぁそんな感じでたくさんの嫌いな自分が胸の中で渦巻いている中でも、ゲイが滅びれば良いのに、みたいな過激な発想をしてしまう自分にも理由がある。

 

今現代、Twitter1つでたくさんの人と絡むことができるし、出会うことだってできる。

 

 

現役体育会系イケメンマッチョくんがジムでパンツ盗まれた、銭湯で盗撮された、なんて案件を耳にしてしまうともうイライラが止まらない。それでその子はホモフォビアになってしまうんでしょう。そりゃあ悪いのはその悪事を行ったホモ野郎であるから。

 

街中で、地下鉄、電車の中でイケてるリーマンを見つけたらすかさず無音カメラで盗撮しネットにアップするゲイだっている。もちろんそそられるし、良いおかずになるし、Twitterでファボだって付けて保存をしてしまったりもする。そんな自分に嫌悪感を抱きながら、こんな犯罪行為をするアカウントをフォローしている自分を憎みながら、そのアカウント主に感謝と怒りを感じてしまう。これもどう言ったって悪いのはそのホモ野郎であるから。

 

私自身も、銭湯に行きのんびり体を洗ったりサウナ入ったりお湯に浸かってまったりするのが好きなんだけれども。やっぱり"そういうところ"にもゲイって溜まってしまうんですよね。というか、自分がよくバイト帰りに寄る銭湯(そこがホモの溜まり場と知っているけれど、職場近くだし安いし、家でお風呂にお湯を張ることも皆無なのでよく寄ることがある。)は地域で知れたハッテン銭湯なんですよね。どう見たってあいつもこいつもこっちの人じゃん!って輩が何人もいらっしゃる。

別にただ温泉楽しんだり、お湯に浸かってる"ついでに"、"あばよくば"良いカラダとか眺められたらいいなぁって言うのであれば全然無害だしどうぞどうぞお好きなように、って思うんですけれども。どうもそんな優しい世界じゃないようだ。

 

私のスペックとして、そこそこ運動筋トレしてるし多少は良いカラダだと思う、外で遊ぶことも多いし日焼けもしてて、なにより若い(笑)、だからこそ、クソ野郎なホモの餌食になりやすいんだけれども、やっぱりあるんだよね。

湯船を移動するたびについてくるやつとか、サウナ入ったら隣にぴっちりくっついてくるやつ、伸びをするついでに軽く触れてくるやつ、やたら話しかけてくるやつ、真向かいに座り込んでチンコ勃たせて見せつけてくるやつ、もうそいつら全員死ねよ!って思うんだ。それくらい、ゲイである俺でさえイライラしてしまう。なんなんだこの世界、こんな腐った世界だったのか、というかお前ら一体何を考えてるんだ、人のこと考えたことないのか、何もかも自分主体で生きているのだろうか、そんなんだから世の中でホモフォビアが次々増えていくんだよ。何が同性婚だパートナーシップ制度だよ、自分らが誠実に行動で示していかないとそんなこと実現するはずないんだよ。

 

とか言っちゃいながら、飛びっきりイケメンだったり、最高のガタイのお兄さんとかに手を出されたらホイホイついていっちゃうんですけれどね。そんな自分が大嫌い。

 

 

それに、「どーせ、こんな人生、こんな世の中、こんな生活」って諦めてしまってるゲイがいることも事実だと思う。顔が良いわけでもない、身体を鍛えてもモテるわけでもない、どうがんばったって報われることがないなんて、諦めとともに落胆してる、そんな人だっているかもしれない。そりゃ行きづらいことの方がどうしたって多いもん。投げやりになったり、自分主体で動くしかなくなったりもするさ。

 

周りみてても、どうしたって溶け込めないものが多すぎる、それはわがままかもしれないけれど、自分に嘘つかなきゃやっていけないことだって沢山ある、それも試練かもしれないけれど、どこかで疲れてしまう時だってあるんだ。

 

 

誰が悪いとか、そんなことわからないんだけど、

そりゃ、周りに迷惑かけて害撒き散らすのはそりゃイケナイんだなぁって、そのために(こんな表現もまた違うかもしれないけれど)発展場っていう空間があるんだから、さ。

それか、自分を極限まで磨き続けていけば、なんか変わるんじゃないかなって自分は怒りと共に思いました。

 

それでも悲しみは要らない。僕も僕自身を好きになれる時が来ると信じて..