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明々後日のビシャモンテ

大学生のひとりごと

9/30 殻破りの夕立が全てを。

私は今バンコクにいる。まるで夢のようだ、すべてが、夢みたいで、見るもの1つ1つが新鮮で、自分の頭の中では処理が仕切れないくらいだ。
 
あまりにも。
 
僕はいろんなことを教わった。
大事なことは何か、できることは何か、そのためにするべきことは何なのか。
今までの死んだような時間が何だったのかと疑ってしまうくらいに、変わった。
とても楽しい、楽しいんだ、それ以上にこれを端的に表せる言葉は思い浮かばないし、難しく考えることもないのだと思った。
今まで、目標がなかった、というか失った、消えてしまった、薄れてしまってからだらだらと生きて来た、生きていたのか死んでいたのかもわからない。でもいつでも死ねる、いつ死んだって別にいいやくらいに考えていたんだから生死の境界線なんてあんまりなかったのかもしれない。
 
かといって目標が新しくできたわけでもない、今だってただ漠然と息をしているくらいだ。でも、それでもすごくワクワクしてる。この人生にワクワクしてる。久しぶりである。
 
あれもしたいこれもしたい、そういうものがとてつもなくのしかかってきた、もちろん良い意味でであるし、きっとそれを成し遂げるにはそれなりの代償や努力が必要だろう。
 
知れば知るほど自分が無力であること、無知であること、努力が不足していることを実感する。
 
 
ちなみに今回のバンコク旅行は、たまたま銭湯で再開した10ヶ月位前に少しだけお話しした友達の友達、Sさんと来ました。そのお兄さんはもともと一人でタイにふらっと行く予定だったみたいで、もしよかったら来ない?ってなり、俺は即決でいきます!とここまで来てしまったのである。自称歩く地球の歩き方、英語もタイ語も話せて流石である。そんな一度ちょっとあったことあるくらいの人にほいほいとついていってよいのか??と疑問符もあるが、自分が信頼できる友達が信頼している友達であれば俺がその人のことを信頼できるのは何も矛盾することはない。どこまでもついていきまっせ!てきな。笑
 
 
Sさん、本当にカッコイイ。久しぶりにこんな”出会う前と出会った後では自分が変わってしまう”様な、素敵な人と出会えたと確信する。何もかもが自分のずっと先を行っている。12年ちょい、一回り程年齢は違う、その年だけ差があるのは当然なんだけれども、余りにも、余りにも先にいるから、なんだろう?嫉妬してしまう?のかな。憧れもある、劣等感は感じたらいけない、追いついていないのは自然の摂理なんだから。12年ちょっとやそこらで俺はどこまでいけるのだろう。逆に今まではどれだけ若さに固執してきたんだろう。今しかない今しかできない、今じゃなくちゃ全てが終わりなんだって。思ってた。けど今は違う気がする、先は長いんだって、先にも楽しいこと沢山沢山あるんだとわかった。それはとても自分にとって大きなことで生きる糧になる。今までは生きる糧がないまま、目の前にぶら下がってるにんじんすら見えない状況でもさまよっていた気がする。
 
 
とてつもなく抽象的な話しかしていないけれども。これを読んで伝わることはなにかしらあるのだろうか?意味があるのだろうか?
そう、意味について、自分はいつも意味について、理由についてを求めてきた。
生きる意味だとか理由だとかいつもどんな場面でも求めてきていた。でも、それが必要か必要でないか、それについてはいつまでもわからないままだけれども、問い続ける意味は必ずあるはずだし、その中でも訳もわからず流れていくのもきっと素敵なことなんだと感じた。
 
 
ここ(バンコク)に来てから、おいしいものをたべ、違う世界を、文化を目にして、また美味しいものを食べて、刺激的な世界に飛び込んで、非現実というこの空間の現実を受け止めて行って、少しずつ、少しずつだけれども生きる活力というものが、生きるその、身体中にからっぽに干からびていた生きていくちから、その様なものが少しずつ流れていくのを感じる。
 
生きる必然性、なんて言葉の意味は自分で言っておきながら全くわからないけれども、きっとそういうものなんだと思う。
 
この腐敗した世界に産み落とされた?なんて誰かが歌っていたけれども、生まれたからには、生きる必然性をもって誰しもが生を受けるんだなって、なんか一人で納得して飲み込んでました。きもみisあるね。