明々後日のビシャモンテ

双極性感情障害パンセクゲイのひとりごと

1/1 幸せにする、年末、走り続けてた時間

よそ見をしていたら年が明けた。

 

そうだ。俺は大学生だ。そうだよな?

冬休みが始まった、それは突然始まった、

自分がいったいどこを歩いて何をしていたのかよくわからない。

急に、はい、今期はいったん終わり!明日から休みだからねって令状を渡されて、このまま渡航した感覚で胸がいっぱいだ。

 

23日から冬休み、そして23日が今年最後のバイトだ、それすらも億劫なのにもかかわらず沙、その癖にやけにわくわくしちゃってさ。

22日の授業が終わって突然頼んでもいない無の空間に投げ出されて、寂しくて、そして大学で連んでるメンツで忘年会とかしちゃったりしてさ。あんな土砂降りの雨の中。

楽しくなっちゃってさ、あっという間に終わって、帰りたくなくなっちゃうじゃんね。

そのまま飲みに行ったのさ、一人で、あてもなく。ゲイバーに。

まぁ、終電もめちゃくちゃ遅くまであるし、最悪歩いて帰れるしいいだろって、やけに飲んじゃって。途中から知人と合流して、どんどんアルコールが体内に回っていくんだ。ただでさえふらふらなのに、何もかも忘れる様に、くだばってしまえ!これでもか!とでも叫ぶかの様に飲んだんだ。自分は控えめに言ってもお酒は弱くないのでいけるっしょって。楽しくなっちゃってさ、でも寂しくなっちゃってさ。

 

結局朝まで飲んじゃうわけ。ウケるよね。きっとそんなことを経験したことがある大学生なんてたくさんいるだろう。行くあてはない、帰る場所はあっても自分一人じゃさみしくて、どうしようもなくて、打破できないから自分をぶん殴る様に飲むんだ。

 

結局飲み屋で出会った東京のそこそこカッコイイ適当な男を引っ掛けてそいつが泊まるホテルに流れ込んだんだ。そうして適当なセックスをして、二日酔いにイラつきながらも朝が来たらさよならさ。そいつの名前もわからないし、顔だって覚えてないさ。所詮そんなもんさ。くだらない夜を明かしたら、朝が来て、太陽が昇っていくんだ。雨は上がって、その下をただひたすら歩く自分をね、馬鹿みたいだなって心の声が叫びながら無言で帰路についたんだ。そんな、冬休みの始まりだった。本当にくだらない。駄目だこんなんじゃ。こんなんじゃ駄目なんだ。

 

まぁ2,3時間しか眠れないまま、猛ダッシュしてさ、帰宅して、準備して、バイトに向かうわけよ、今年最後の。そりゃしんどいよね。楽しかったのに、なんでこんなに辛いんだろうって何回も叫んだよ。吐きそうだった。でもこの嘔吐はきっと苦しみとか現実の冷たさとかではなくて、ただの二日酔いだと信じているんだけれどね。大丈夫。

 

バイトが終わって、家に帰ったらそのままバッタリ布団に潜って眠っていた。目覚めると夕方。焦りまくる理由は、翌日から沖縄へ行くことが決まっていたからだ。

 

何も準備ができていない。そもそも準備とはなんなのか、そもそも誰と行くのかすら俺はわからない。自分でも理解できていないんだ。ひょんなことから決まった沖縄。

旅費は飛行機代含めて全部相手が出してくれるということ。あれ、これって?

 

またこれだ。俺は無償で沖縄へ行く運命なのだろうか?まぁ、出してもらえるのであれば嬉しいものだ。貧乏大学生にとっては最高の二文字で表す以外何もない。

 

眠れない。自分がどこにいるのかわからない。反省する暇さえもない、考える暇も、次に何をすればいいのかさえもわからない、誰か教えてくれ。

翌朝、起きれたと思ってぬか喜びしていたらまさかの二度寝してしまった。焦りがピークに達した。自分はどこにいるの?どの時間軸を歩いているの?これは許されるの?とにかく駅までダッシュした。電車に飛び乗り、セントレアへ向かう。何も考えはまとまらない。忘れ物はないかとか、何をしに行くのか、何もわからない。とにかく俺はいまから沖縄へ行くんだ、その事実しか頭では理解していなかった。誰と行くのか?顔さえも忘れてしまった人に連れて行ってもらうんだ。自分は誰なのか?相手の名前も顔もうる覚えな上に自分の顔も名前さえもわからなくなっていく。なんていう名前で自分は自分をやっていた?どのハンドルネームで?どのあだ名で?そもそも本名はこの人には教えたのだろうか?そもそも信用していいのだろうか?もうどうなったって構わないって、投げやりだったんだきっと。なんだっていい、とにかくこのつまらない日常の果てから連れ出してくれるんだったらどこへだって良い、それが南の島であるのならば嬉しい以外の言葉が思いつかない。

 

空港への予想到着よりも1時間ほど遅れての到着だが、早めに予定していたのが吉と出たのか、フライトの時間よりもそこそこ余裕を持って席を取ることができた。さぁ、自分は今から沖縄へ行くんだ。それしかわからない。それさえも夢なのか、現実なのか、それさえも、わからない。

 

支配されている、流れに。

 

抗えないし、争う必要もないんだ、もうあんまり失うものがないことがわかってきたから、捨てるものはなんだってあるんだ、命の価値さえも昔の自分が見たら驚愕するくらい軽くなってしまったと思う。リスクマネジメントもボロボロ。ただそれに従うだけ。

 

3泊4日、無償沖縄旅行。楽しかったよ。素敵だった。こんな世界が景色があるんだと。

でも心はずっと上の空。だってこれが現実だって一体誰が言ったの?いつから夢だと錯覚していた?でも現実であることは間違いないなんて、小説で作者がとりあえず書いとけって勢いで書きなぐったことなんじゃないのか?わからない。

 

僕にはわからない。わからない。わからないんだ。

わかる必要もきっとないんだ、だからこれで良いんだ、とにかく沖縄へ行ってきたんだ。僕は、沖縄へ行ってきたんだ。それに偽りはない。どうだい、羨ましいだろ?4日間の沖縄旅行で使ったお金なんて4000円程度なんだぜ?素敵だろ?レンタカーで沖縄をランデブーして、高級なヒルトンの部屋に泊まって、素敵なビュッフェを食べて、現地の郷土料理を食べて、ラウンジでシャンパンを飲む。ここは夢なのか?支配されているのか?悪い夢に、支配されてしまったのだろうか?ねぇ。

 

ねぇ、聞いて、俺はいったい誰なんだ?この質問に答えてくれる人はいるのだろうか?なぁ、教えてほしい、俺はどこで何をしているんだ?素敵な南の島で、なにをしているんだ?

なぁ、答えてくれよ、なんで答えてくれないんだよ!!!!

俺一人鏡に向かって叫ぶ。ずっと我慢してたタバコを吸いながらくそみたいな綺麗であろう夜の海に向かって叫ぶ。なんでなんだ、なんで俺はなんでなんだ!どうして!なんで!!!!!!!!

なんで!!!!

 

しかし海はただ、波の音をこだまするだけ。風が騒がしい。

別にこの風は泣いているわけではない。泣いているのは俺だ。

なんでかはわからない、もう壊れてしまったのだろうか、感情が。

たくさん笑えるはずだよね、沖縄に来れるって嬉しいことだよね、しかも無償で来れるってものすごく恵まれてるよね、出会いに感謝だよね。でも、なぜ、なにも思わないんだろう。すべてを当然の出来事のように飲み込む技術なんて小学校の道徳の授業で濁されて以来だ。でもそこから僕はずっと考えていた。求められている答えを返せば瞬間的な択選びには勝利したことになるんだ。でもそれは全部を成功させなければ意味がない。どこかで崩れてしまうからだ。

例えば賭けて買ったとする。1000円が5000円になる、それを賭けて5000円が20,000円になる、それがどんどんと増えていくのに、いずれ500,000円が0円にパッと切り替わってしまう。面白いよね。そんな感じ。

 

日常の試練イベントも同じなんだ、どこかで選択を間違えたらリセットが出来ない上に損失だけが重くのしかかる。やりなおしをさせてくれと懇願する暇すらも与えられない。結果として今回の沖縄旅行は、9割型の択選びに成功したり、大成功したりしたおかげで、ほぼ損失が0のままで終わった。

 

でもさ、考えてほしい、最初には1,000円しかもってなかったとするのに、それが気づけば500,000円に変わった途端失うのが惜しくなる。そしていつのまにか喪失してしまい0円へと変化を遂げてしまう。

純粋に考えて損失はたったの1,000円でしかないんだ。なのになのに、なんであんなにも悔しいんだろうね。面白いね。そして笑っちゃうね。

 

1,000円失っても多少凹むだけなのに、1,000円が500,000円になった途端失った時の悲しみも膨大なものになってしまう。所詮そんなもんなんだ。

 

例えば、0歳児の赤ん坊のことに死んでしまうのか、22歳の一番楽しいところで死んでしまうのか、それってさ、死ぬことには変わらないのにどれを美徳と捉えていくんだろう。しまうんだろう。80歳で死ねたらハッピーなの?そうなの?それっておかしくない?おかしいよ、絶対におかしいよ。笑っちゃうよね、笑おうぜ?そして踊り狂おう。それで満たされるならば俺は朝まで踊るよ、脳内で音楽が鳴り響いてる限り、心臓とともに。

 

どこにいるの変わらないまま、南の島から帰還した、頭が働かなかった。

ここはどこなのかわからなかった。きっと沖縄楽しかったよって海やエンジョイしている画像を添付してSNSに上げれば羨ましいとみなしもが認めてくれるだろう。そんな自分に酔いたくないから、 SNSにはあげなかったのかと、今更ながらに思う。

 

帰ってきたらさぁ、もう年末だ、やることが溜まりまくっていて頭ん中が5曲同時再生の壊れたラジオみたいに周波数を合わせられなくなっていた。

 

クラブいって、また飲んで、やることやって、誰かしら俺んちに泊まりに来たり。地元の小学生時代の親友たちと地元で飲んだり、クラブいって踊って飲んで、騒ぐのを繰り返したり。なにも生まれてなんかいないんだ、だから誰も知らない。面白いよね。

 

最初から死んでたら、0歳のときでも、22歳の時でも、かわりはなかったのですか。

 

ちゃっと2016が終わる。

 

 

それでいいんだ、Take Over Control

だれか、俺を勝負してくれ

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