明々後日のビシャモンテ

双極性感情障害パンセクゲイのひとりごと

3/9 僕とピアノとまぶたの裏と。

弾けなかった歌えなかった。

 

 

そんな言葉を、吐いて。

今日がまた終わる。

 

 

そしてつながる(明後日へ:記事)

 

 

僕はピアノが大好きだ、

ピアノを弾くことが大好きなんだ、

 

最初はそうじゃなかったなぁ

それじゃあ、思い出話をしよう、

僕とピアノのお話。

 

 

そうだね、僕がピアノ改め音楽と出会わなかったら

今の僕が出来上がってはいなかっただろうし、

僕は僕ではなかったはずだから、こんな曲がいいかな。

 

報道ステーションOP 「I am」 - YouTube

#Nowplaying

 

みんなご存知報道ステーションのテーマ曲

「I am 」

ジャズピアニストである森田真奈美氏が作曲したピアノ楽曲である、

 

余談で、コピペだけど、森田氏のwikipediaにこんなことが書いてあった。

 

『4才でクラシック・ピアノを学び始めたが魅力を感じなかった。そのルールのすべてに耐えられず、レッスンを嫌っていた。しかし、自分で好きなように弾くことだけは得意で、幼い頃から曲を作ってはひとりで弾いて遊んでいた』

 

 

重なる部分もあるかもしれない、今知ったことだけれども

これも踏まえて今日は記事という名のひとりごとを垂れ流していこうと思う。

 

 

僕は昔ピアノを習っていた、

きっかけは忘れてしまったが気づいたら習っていた、

保育園の年少のときに地元の某YA◉AHAのグループレッスンに

ほぼ無理やりいれさせられたんだ。

 

なぜ、やり始めたのか、

中学の頃母に聞いたことがあったが

理由は「私が幼いころ、学生の頃、ずっとピアノが弾きたかったの。私は習わせてもらえなくて、ピアノが弾ける人がうらやましかった。高校の頃貯めたお金でキーボードを買ったの。すごく嬉しくて友達と流行りの曲を耳コピしたり連弾したり、とても楽しかった。たとえ片手だったり簡単なものでも、楽しかった。もちろん幼い頃から習っていて両手ですらすらと弾ける人がとてもうらやましかったしどうしても敵わなかったから。私がやりたかったことを自分の子に押し付けるようなことをしたのかもしれない。もちろんそれは自分の夢でもあったし、子供に弾ける喜びや、楽しさを知って欲しかったから。」的なこと、言ってたっけ。的なこと。美化してるかもしれないけど、本当にこんなことをよく言っていた。

 

当時のはやりの曲、小室さんとかが先駆けていく前?シンセが出だした頃の簡単なリフやソロが流行ってたとき、ラジオやテレビでこの曲がかかるたびに高校時代に練習したわ〜ってよく言ってたのを思い出した。もちろんとても前向きで元気が出るいい曲だね。シンセが新鮮だった時代(ギャグじゃねーーーーし!!笑)

Van Halen - Jump - YouTube

 

そんなこんなで、ピアノを習い始めた4才くらいの俺たち(グループレッスンだったから)

保育園も一緒な子や隣の幼稚園の子などで集まった男子2人、女子6人系8人のグループ。

はっきりいって、楽しかった。

 

気がするんだけど、いつも憂鬱だった。辛かった。

ピアノの日が水曜日だったから、いつも水曜日なんて来なければいいのにって心のどこかで思っていたんだ。

小学生のころ、ずっと水曜日が苦手だったのは、

今思い返すとこれが理由だったのかもしれない。

 

ピアノが、飛びっきりうまいわけではなかった。

ピアノの日はレッスンにいくまえに母に付き合ってもらって

やるべき宿題的なものを弾いて練習してからいかなきゃいけなかったんだけど、

本当に厳しくて、母が、ひどくぶたれたこともあったし、

泣きながらピアノを練習した日だってあったんだ。

指が、動かなくて、悔しくて、

それでも「なんで弾けないの?」って怒られて、

余計に悲しくなって、辛くて辛くて、とても涙を流した。

簡単に弾けるようになんてならないんだ。

何度もなんども弾いて、弾いて、弾いて、とにかく弾いて、

 

 

でも、なんで続けられたんだろう?

 

 

 

それはわかりきってる質問だ。

 

僕らを育ててくれたピアノの恩師である、YA◉AHAの先生が

めちゃくちゃに素晴らしかったのだ。

時に優しくて、できないなら解決案をくれて、

ものすっごい面白くて、話してるだけでも幸せだった、

いつもグループレッスンは笑いも笑顔も溢れてたんだ。

 

ある子が「スケールだとか理論的なことは嫌いだしやりたくない」

って(おそらく伝えたんだと思う)伝えたら、翌週から(俺自身も面倒くさいし嫌だなぁって思ってマグネットを用いた音階コードの練習??がなくなって)新しいことが始まったなんてことがあったっけ。

 

それほどに生徒一人一人のことを考えていて、

音楽を、ピアノを弾くことを、

レッスンに来ることを楽しものにしようとしてくれていたんだ。

発表会も楽しかったし、もちろん練習だって楽しかった記憶ばかりだ。

時には、イベント!ってことで先生が練習してきてくれた曲を披露してくれる時間があって、いつもいつも素晴らしく楽しくて今思い出しても笑顔があふれてくるんだ(選曲も話題の曲なり子供受け、保護者受けするような、すんばらしいチョイスをしていて、その点に関しても素晴らしいな、って思った)

 

この先生が何を教えてくれたのかというと

「ピアノを弾くことの楽しさ。音楽の楽しさ」だったんだよね。

 

文章にするとくっさくてなんだこの在り来たりで

つまらなーい言葉。みたいに感じるかもしれない、

だけど、その言葉を本当に全てで伝えて教えてくれたんだ。

 

(中学に入ってからそれぞれが個人レッスンへと変わっていったんだけれど、その時も僕はクラシックが大嫌いだったからクラシックの選曲を少なくしていろんなジャンルを弾かせてくれたんだ。)

 

個人レッスンになっても、続いたんだ。

僕はコンクールが好きじゃなかったからいろんな曲を

ただ楽しくたくさん弾く、って言うスタイルのレッスンだったと思う。

時には学校の相談をしたり、悩み相談をしたり、ディズニーの話や、

先生の好きなアーティストの話をしたりとか、楽しかった。

 

コンクールはでなかったけど、資格をちょくちょく取ったり、

ちっちゃなコンサートには毎年出てたっけ。

 

地元の七夕祭りで晴天のした、駅前でピアノを弾いたこともあったんだ。

それも素晴らしきいい思い出なんだ。

(選曲は久石譲のSummerでした)

 

 

思えば先生はよく笑って、よく笑わせてくれたっけ。

本当に、先生がいたから、僕はピアノを続けられたんだ。

 

ちなみに、冒頭で紹介した

インパクトのあるグリッサンドから始まる曲である「I am」

これは確か高校2年生の時にコンサートで弾いたっけなぁ

当時の自分にとってはおかしいくらい難易度の高い曲で、

高校生にもなってハノンを始めて本格的にやる、なんてこともしていたよ。

それも、いい思い出。

 

あ、僕がピアノを弾くのが好きだ、って気づき始めたのは

中学一年生の時だ、合唱曲の伴奏を毎回やっていたり、

当時動画サイトで流行っていた「組曲『ニコニコ動画』」の楽譜を

プリントアウトして練習してたりして、

そのあたりから自主的にピアノに触れていくようになったっけ。

(その中学時代に某弾いてみた投稿者まら◉ぃ氏が動画を上げ始めていたのを見ていたのも少し影響されているのかも。)

 

そう、たっくさんの曲を弾いた。中学生なんてやることやっちゃえば

無限に時間があったから毎日毎日3~5時間ぶっとうしでピアノを弾き続けるみたいな日々があったよ。

 

(ピアノを弾いている時間は親に怒られなかった、っていうのも余談だけどあるんだ。笑

小学生のころから、辛い時や怒られた時とか、精神的におかしくなりそうなくらい追い詰められた時にはピアノに逃げていた。どんな状況でも、ピアノを弾いている僕のことを叱ったりすることは基本的になかったんだ。勉強しなさーい!て言われるような時でも、ピアノを弾いている時だけはなにも言われなかった。きっと母も僕の演奏を聴くことは嬉しいこと、でもあったのかなって、いま漸くそう思えます。)

 

そして、高校に入ってから自分で曲を作るようになったんだ。

 

以上がざっくりとした流れかな?(全然ざっくりしていない)

僕とピアノと、時々、涙。

 

余談だけど、小学生の頃親の部屋にピアノがあったから、

土曜日の朝とか、なにもない早起きした時、

お母さんが寝てる(いや、起きてるんだけどだらだらしてる)ところで、

なんかリクエストあります〜〜?って、

弾いたこともあったんだ。

そこから、誰かのために演奏する喜びと楽しさを知った。

そのせいで小中学高校の音楽の時間に音楽室を占領して

ピアノ祭りする癖がついたんだっけ、

クラスの誰かから"アレ弾いて!!”って言われて、

へいって弾くとおおおおおお!!って言われる嬉しさは

今も忘れないんだ。

 

僕と、ピアノ。森田氏の気持ちも少しわかった気がしたんだ。

タイトルも素敵よね「I am」

GREEのブログでもこのタイトルをテーマに日記を書いたことがあったと思うんだけれども、「I am」って言う題をつけるセンスね。

 

 

 

これに、何が続いていくんだろう、

「私は」これだけで全てが表せるんよね、

あなただったら、この続きになにを記す?

 

 

 

では、本題に入ります。

もうこの時点で3600字書いてるんですけど

気にせず本題に入ります。

 

 

弾けなかったし、歌えなかった。

タイトルの日付を見ればきっと感じる。

 

 

去年、後輩に「先輩は今日もきっと弾いてるし、歌ってると思いました。そんなところを想いました。」って言われたことがあって。

 

嗚呼って。

 

3月9日/レミオロメン #Nowplaying

3月9日 - レミオロメン(フル) - YouTube

 

高校時代から弾き語りもよくしていた、

たくさん弾きながらけっこう歌っていたんだ。

 

そして、高校も3年間毎年、

3月になるとこの曲を練習しまくって、

当日誰に披露するわけでもなく、

ただ、歌って、ただ、弾いて、

ただ、この曲に浸っていたんだ。

 

 

そういえば....

今日もそんな日だっけ、って雨が降り続けてる空見上げながら

上京した友達が帰郷するっていう連絡を読み返しつつも

「今日も後輩は、俺がこの曲を弾いているのかなぁ思っているのかなぁ」ってことを考えているのかな、それすらも余裕がなくなっちゃって忙しいありふれた大学生になってしまったのかなぁなんて思っていたんだ。

 

 

 

 

どれほど、強くなれたでしょう?

 

 

 

ある程度ピアノが弾けるようになると

部屋を真っ暗にしたって、目をつぶったって

鍵盤に手を乗せれば曲を弾くことができるんですよ。

 

 

そう、この曲を、弾きながら歌うんだ、

 

そっと目を閉じたまま。

 

 

「あなた」って言う全ての人を指すことができる"二人称"

まぶたの裏に、瞳から何かが零れ落ちるくらい、

たくさんの人が、いたんだよね。

 

 

それだけでね、どれほど、強くなれたでしょうってね。

 

 

 

 

今日はピアノも弾けなかったけれど、

 

目を閉じて雨の中最寄駅からテレビ塔まで、

傘をくるくるさせながら歌うんだ。

 

 

 

 

新たな世界の入り口に立ち

気づいたことはひとりじゃないってことか。

 

へぇ、なるほどね。