明々後日のビシャモンテ

双極性感情障害パンセクゲイのひとりごと

8/25失われた時間、時の牢獄、始まり

人生とはなんなのか、目的や夢、生き様とはなんなのか。

 

きっとそれは一生かかってもわかることはないのだと思う。

普通に生きるのだって難しいのだから。

 

いま自分が生きていることが本当なのか確かめる術さえもない、

きっと息をして吸って吐いてそこに存在しているとしかいえないのだ

それを"生きている"と言うのだろうか。きっとそうなのだろう。

 

自分の人生どこで間違えたんだろう?とたびたびに思う。

けれど間違っていたことなんてないのだとも思うようにしている。

 

毒親から逃げるように毎日を生き延びていた高校生の頃、

同じような環境の戦友が自分で死ぬことを選んだ。

 

彼女がどうしてケツイをしたのかは今となってはなにもわかることはない

想像することはできても歳月を重ねて風化していく記憶とともに

徐々に本当のことがわからなくなっていく、

残っているのはただ彼女はもうこの世にはいないということだけ。

 

誰のせいでもないのだ。

自分は20代のほとんどを鬱病との戦いに費やしてきた。

いつから普通じゃなくなったのかすら定かではない、

気づいたら毎日薬を飲み、毎日を消費して

現実から逃避してゲームをして1日が終わるそんな時間を

ずっと、ずっとずっと繰り返してきた。

 

大学生の頃、まずは大学を卒業することに必死だった。

卒業する以前に生活していくことに必死だった。

なんの支援もない状態で生活していくのには早すぎたのだろう

大学2年の夏に学生寮へと引っ越した、

初めて実家以外での暮らしだった。

もちろん親との対立やモラハラ的な言葉が投げかけられて

自分がパニック発作が起こってしまうことがなくなったのだから

ずっと生きやすかった。

 

けれど生きていくのにはお金がかかる、

その環境であればその環境ならではの消費がある。

学生寮のルールとして先輩が後輩を飯に連れていくということがあった

自分は2年から中途入寮だったため恩恵をあまり受けられていないが

後輩を飯に連れて行かなければならなかった、そのあたりからもやもやした。

 

周りは親に全て払ってもらってバイトもせずに親の金で

後輩を飯に連れていったりしている一方で

自分の生活費も稼ぎつつ食費やなにから蓄えつつ

さらにそういうことにお金を使う必要があったからだ。

もやもやが募って、寮で得られた時間よりも大きくなった。

夜職を始め、春を売ってお金を稼ぐようになった。

なにかがふっきれたのかそんな生き方を選んだのだ。

授業が終わったらみんな部活やサークル、

誰かの部屋に集まって朝までゲームをしていたりと

それを横目に自分は2時3時まで様々なバイトに勤しんでいた。

目的を見失っていたのかもしれない、いつから鬱になったのかもわからないから

 

春を売ってお金を得て暮らしていた代償として

自分にストーカーがつくようになった。

住んでいる学生寮までつけられていたのだろう。

誰にも迷惑をかけたくなかったので寮を出ることになった。

 

次は男女7人のシェアハウス、家賃は学生寮よりは高くなるが

大学から近かったため悩んだ結果引っ越しを決めた。

そこからも春を売り、それ以外のバイトも頑張り、

勉強もがんばりたかったけれどどこからか歯車がずれていった

そこでしかできない経験があったので後悔はしていないが

大学卒業できるかもしれないという年の夏の終わり、

突然シェアハウスが解体となった。

 

そこで初めての一人暮らし、半年だけ暮らすために家を探した。

もちろんお金なんてなかったので消費者金融に借りて引っ越した。

春を売って蓄えていたものが一瞬で消え去った。

もうそこらへんから何に向けて生きていたのかはわからない。

当時は大学をまず卒業しなくては何も始まらないと思っていたから

まずは卒業だと思った。

 

そこで感染症が広まって日本は大パニックになった。

慌てて就職したところは悪しき風習昭和のノリが残っている会社で、

すぐに消耗しきってしまった。

ただでさえ鬱だとわかっていたからこそ、

病院へ通う時間もなかったからこそ、すぐにだめになってしまった。

転職後もボロボロの状態からのスタートだったのですぐにだめになってしまった。

根性がないのだと思う。一方で病気から目を背けていたのもあるのだと思う。

 

そこで突然東京で暮らす元彼から連絡があった、

"一緒に暮らそう"と

 

そのためには準備がいるから時間がかかると、

そしたら毎月の生活費と家賃をと言われて当分の間

そのまま暮らしていくことになった。

 

しかし3ヶ月経っても、半年経っても、1年経っても

準備は整わないみたいで、ずっと毎日死んだように生きていた。

いま思うとなにを信じていたのだろうと思う。

ともに暮らすことも本気で夢見ていたし上京して

そこからなんとかやっていけばなんだって可能性はあるんだと

勝手にそう思い込むようにしていた。

 

1年半が過ぎたあたりでなにもかも諦めた。

 

 

そんな生活をしてきた。

シンデレラを夢見る余裕のない暮らし

振り返ればただの生き地獄だった。

 

結果として動き出して数ヶ月後に彼とは音信不通になった。

 

自分はこうやって若き時間をずっと浪費してきたんだ。

何も得ることも、自分で頑張って何かを成し遂げることもできなかった。

 

無駄に過ごしてきた時間。何も得ることのなかった時間。

 

増えたのはネットゲームのレベルだけ。

なんにも役に立つことはない。

 

やっと精神の病が落ち着いてみてた世界は

ぐちゃぐちゃな職歴とヒモ時代の空白、

老いた肉体と幼稚な頭。

 

でもここで諦めたくない、どうしたらいいのか

正解ってのもないからわからない。

 

なんでもいいからもがきたいのだ。

やれることをやって

2年前や大学生の頃じゃ全く考えられなかった将来のこと

いまならば考えられるから。

 

ここから、やっとここからはじまるんだから。

2年後には生きててよかった!って本気で叫べるそんな人になっていたい。