明々後日のビシャモンテ

双極性感情障害パンセクゲイのひとりごと

5/13歌えない者のバラッド

現在5/13 午前3:00

 

歌いたい、なにかよくわからないけれど、

言葉の意味もわからずにただひたすらに歌っていたい。

 

誰かが、もういいよ、大丈夫だよ、

世界は平和になったんだよ、君は解放されたんだよ、って

慰めてもらえるまでひたすらに歌っていたいんだ。

 

最近改めて思ったのが、やっぱりウタウタイになりたい、

詩を書いて曲を作って、歌を歌って生きていきたい。

恩返しをしたい、なにに?それはわからないけれど、

その、答えが見つかるはずはないけれど、恩返しがしたい、

ただの自己満足で終わるかもしれないけれど、

たった1人の少年が大丈夫なんだって笑顔で暮らせるように、

 

 

僕は中学の頃から曲を作っていた、歌詞を書いたり、

ピアノでメロディをつくったりと、本格的に曲をつくっていた、

だからなのか、今大学の同期たちが必死になって音楽に取り組んでいるのが

正直見下した目で見ている時が全くないとは言えないんだ。

それは歌うたいとして失格なのかもしれないけれど、

実際にそう思うんだ、なぜだろう?

 

 

こんなこと言ったら偉そうだだとか叩かれるだろうけれど、

"思い"やメッセージが全く感じられないんだ、

 

いや、この一文くさすぎるしうけるよね。お前何様だよって、笑

けど実際に、なにかを伝えたくて、この思い届けたくて曲を書いている、

周りのDTMerや音屋の人たちは1人でもいるのだろうか?

 

Twitterで見ている限り、学内であってもいつも、

締め切りに追われていて、晒し(みんなの前での発表)したくない、だとか

いやいやいや、何の為につくってるの?聞いてもらう為じゃないの?

散々がんばってきたのに、聞いて欲しくない、なんて、

せっかく、聞いてもらえる機会があるのに、なんと贅沢な、

 

ただの、音の羅列を、紡ぎ出すことしかできないとしても、

何を思って、何を感じて、何を表したかったのか、

僕は知りたい、それを知りたい、知りたいんだ。

 

 

正直、僕は大学に入ってからというものの、

曲を片手で数えられるほどしか作成していない。

だから、なにも言う資格もない、

まぁでも作っているからといって何かを言う資格があるわけでもないんだけれどね。

 

 

 

僕は一度レクイエムをつくろうとしたことがある、

友人が、逝ってしまってから、訳も分からず鍵盤を叩いていた、

いまでも鍵盤に手をおけば手が勝手にその曲を弾いてくれるだろう、

泣きながら、叫びながら、ピアノを弾き殺したのは、

とてつもなく悲しいときや、怒りの時くらいだから、

いまでもとても印象的に残っている、

 

あまりよくない例えだろうけれども、

音楽って言うものは、そういう、

内側から湧き出てくる気持ち、思い、そんなようなものを

表してくれる素敵なものなんだと思ってるんだ。

 

みんなのそういう曲が聴きたい、

だらだら過ごして、なんとなく作って、自身ないです、

聞いて欲しくないです、けど聞いてほしいな、なんて

わけのわからないことをほざきながら差し出される楽曲なんて。

死ぬ気の一曲を聞かせてほしいんだ。

 

いっそ、極論を言うのならば、

人を1人、大切な人を1人殺して、

思いっきり、その、右手のナイフで、引き裂いた後の、

おそらく、湧き出てくるであろう、アドレナリンと、

言葉にできない、想いを、そのまま曲にしてほしい。

 

そんな曲ならば、泣きながら、今日が終わるまで、ずっと

聞いているんだと思う。

 

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僕は高校生の頃、学校が大嫌いだった、

あの空間が嫌で、誰にも会いたくなくて、

学校をサボって、でも行く場所はなくて、

カラオケに行っていた。

当時は1日フリータイムでも学割とか使えば、430円で入れた。

だから一日中10時から18時まで八時間ぶっ通しで、

母さんが作ってくれた弁当をその個室で貪りながら、

ひたすらに歌っていたんだ。

 

そんな記憶が蘇る。

 

 

僕は歌がとてもへたくそなんだ。

いや練習しろよ、って、けれど昔と比べたたら上達はしたんだよ

僕は、歌がうたえないから、たくさん楽器を練習したんだ、

ピアノはもちろん、ベースに、ドラム、トランペット、

民族楽器のケーナからティンホイッスル、

自分1人でどれだけでも受け持ってやるぞ、くらいな勢いでね。

 

けど結局は歌が上手い人が強いんだ。

だから僕は歌を歌っていこうと思う。

だれかに届ける歌を歌う為に、もっともっともっともっと、

歌っていけばきっと届くかもしれない。

 

だれかが、もういいよ、大丈夫だよって、

優しく慰めてくれるかもしれない、

一緒に、泣いてくれるかもしれない。

 

だから、曲を、書こうと思うんだ、

そして、曲を、歌おうと思うんだよね。

 

 

その為に、たくさん人生を生きていかなきゃなって。

きっと、僕が、ここ最近どこで何をしているか、

知る人なんてどこにもいないはずなんだ、

苦しくても助けてくれないはずなんだ、だから、

精一杯生きて、生きて、生きて、切って、生きて、

たくさんの生きてるを実感しながら、

虚ろな目で精一杯笑っていたいと思うんだ。今日も、

明日も、その次も、日が暮れても、海の向こうまで、

 

 

歌えなくても、歌いたいんだよ。

ピアノを買おうって、思ったんだ、

誰かに聞いてほしいな、僕が死んでも。

伊勢参りの珊瑚礁とかでいい。

今回もまた、沖縄ちっくな話になるかもしれないです、

今もまだ5/8 27:33 つまり5/9の朝の3時だね。

 

 

安室奈美恵の、「NEVER END」という曲をご存知ですか?

Namie amuro BEST tour "Live Style 2006"~NEVER END~ - YouTube

 

小室哲哉が2000年7月の沖縄サミットの為にプロデュースした楽曲。

うん、つまり、そういう曲でもあるんじゃないかな。

 

歌詞は捉え方によっては、恋愛ソングとも聞ける、

しかし、政治ソングとも、沖縄の曲とも、人生の曲とも解釈できる。

 

この曲は何を伝えたかったのか?

それをわかったところで僕たちは満足したり幸せになれるわけでもない。

 

 

生きていかなきゃいけない涙の日でも、

だけど強くなれない、ならなきゃいけない。」」

 

 

きっと人生ってそういうことだよね。

何が起ころうと、どんな悲しいことつらいことがあろうと、

自分を鼓舞して、前向いて生きてかなきゃいけないんだろうな。

 

上に載せたURLの動画、安室ちゃんが思いが溢れすぎて歌ってる最中に泣き出しちゃうんだよね、もう、最初にこれを見たとき、聞いたとき、僕もつられて涙こぼした気がする。

 

かっこつけていたいからそこは濁しておくけど、

そこまで抱えられるもの、背負っていられるものがあるのはとても強いことだと思う、

 

今の僕らは、、いや、今の僕はなんなんだ、

何も知らない、何もわかっていない、

何を変えていない、何も刻まないまま死ねるんだ、

いまも、ここで、その気になればそうすることができるんだ

不思議だよね、それってとても不思議なことなんだよね。

 

僕はなんで生きているんだ?何がしたいんだ?

夢も希望も、野望も、なにももってやいない、

それって、とても価値のないことなんじゃないかな。

 

ってそんなことよくわかんないね笑

今は今を生きていくのに精一杯なんだ、

そのなかで何か残せていけたらなぁなんて。

今日もくだらないことつぶやいているんだ。

 

 

今月はまた、お隣の県でサミットがありますね、

伊勢志摩サミット。

 

我らが初詣なり観光などで手軽に参る伊勢神宮があるところで、

なぜサミットを行うのか、何か変わるのだろうか

いったい何が変わるのだろうか?

教えて欲しい、僕たちは幸せになれるのか、

いや、幸せってなんだよってわからないままこんな質問をしてしまうこと自体おかしなことだけれども、でもそのくらい聞いてもいいよね。

 

先々月の大阪旅行、ぶらり電車の旅の中でも書いたけれど、

近鉄鈍行で大阪へ向かう途中で見知らぬお婆さんと仲良くなり、

世間話や思い出話、様々な話をしながら途中まで電車の旅を楽しんだんだ、

そうそう伊賀神戸のお婆さんの話ですよ、懐かしい。

 

その方が語っていたのは

「今年は伊勢志摩サミットがあるせいでか、ここらへん(超ローカルで普通列車しか止まらない、人もあまりいないような駅が続く、自然が豊かでのんびりすごせそうなのどかな場所たち)のね、山がどんどん伐採されているの。なんでかなぁって思って、とても寂しくなっちゃったの。理由はね、今度サミットを三重でやるもんだからテロ対策として(山に潜まれないように)次々と山を伐採してるんだって、なんで三重なんかで、なんで今更三重でやるんだろうねぇって。。。」

 

そう、話してくれたんだ、、それを聞いて、また

僕はなんて無力なんだろうって思った。

とてもとても無力なんだって思った。

 

今、僕には何ができるんだよ、どうすりゃあいいの、

なにからやりゃーこのモヤモヤとした想いは昇華されるんだろう。

 

折角名古屋で生きていて、

いつでもいけるんだし、伊勢神宮

近いうちにまた行きたいなぁて思いました。

その気持ちをまた、今度は僕が、

なにか曲にできたらいいなって。

それはただの自己満足かもしれないけれども。

 

自分ができることを、形に残したい。

夢とか、そう言った形ないモヤモヤとしたものを今

敢えて語るのであれば、そういうことなんじゃないかなぁ、なんて。

 

こんな戯れ言の羅列みてるわけないと思いますが、

改めてここでお礼を言いたいなって思ってます、

伊賀神戸のおばあさん、ありがとう。

いつまでも元気でいてくだいさい、また沢山の思い出ばなしや、

笑顔を見せてください、またどこかで、どこかでめぐり会う日まで。

 

 

自分が無力だって、気づいても、諦めて、ゴミになってたら、

わがままにやりたいことすらやれやんやん?

誰も悪くないんだ、綺麗な海が見ようとも

沖縄。行きたいですね、

 

海の声よ、風の声よ、

理由はわからないけれど、沖縄に行けば何かが変わる気がする、

そんな適当なことを考えながら今日も生きている。

ただ生きている、僕は歌ってなんかいないんだ、

ただ、ただ、今日も、生きている。

 

沖縄に関係することが何か続いた気がする、

先月どハマりして活字が苦手な僕が一気読みしてしまった

吉田修一の「怒り」の中でも美しい沖縄の様子が描かれていた、

そこでも起こるドロドロとしたことや、

離島での優雅な、つい憧れてしまうような暮らし、

しかし、米軍基地関係で起こる現実、

なぜデモをするのか、なぜそこに基地があるのか、

デモをしてなにが生まれるのか、何を一体変えられるのか、

作中で登場人物である女子高生が酔っ払った米軍にレイプされるシーンがある、

ああ、なるほど、変えたいものは、こういうものも、きっかけ理由の1つなんだって。

沖縄なんかよくわかっていなかった僕でも、ああそうなんだって、

なぜか納得できた気がしたんだ。

 

誰が悪いんだろう?

 

 

また、冒頭で書いた歌詞、沖縄出身アーティストのBEGINが作曲した

「海の声」という曲、このCMもだいぶ話題になりましたね、

何を歌っているのか、歌詞の意味すら、何を伝えたいのか、

何を待っているのか、何を届けたいのか、

何もわからない僕だけれども、いい曲だ、きっと届くんだって、

思ってしまったんだ。そんな素敵な曲を聴いて、

 

ああ、沖縄ってやっぱり素敵なところなんだろうなぁって。

 

でもそれが、今では届かなくなってしまっているというならば、

これもまた、

 

誰が悪いんだろう?

 

 

そして最近、というか先月、熊本で大震災が起きた、

とても被害が大きく、悲しみはまた生まれるんだ、こうして、

そんなことを思った、怖いな、だとか、無力なんだなって、僕。

 

阪神淡路大震災、東北大震災、それが経ち終わる、

復興、先月神戸を訪れる時があったがとても綺麗な街だった、

あっという間に、その、悲しみのカケラも見えないような、

とても洒落た、綺麗な街だった。

ちなみに僕は神戸港のポートタワー近くで海を見ながらたそがれるのが好きだ。

昨日、とあるバイトでおじいさんと話す機会があったんだ、

世間話をつらづらとしていくなか、僕らもどうして生きていけばいいのかな、

なんて、聴いて、答えて、訊いてくれて、僕も答えて、

でも答えはわかなかったし、最初から答えのある問いでもないのでしょう。

そこで、僕が21歳と言うことを伝えると、ぱっとしなかったみたいで、

えーっと、僕が生まれてから半年たつか経たないかくらいの時に阪神淡路大震災が起きたんですよね、最近旬な話題ですと、と。

もう老後の余生をただ、ただ考えているくらいの歳の人だった、

かといって、後期高齢者というわけでもない、どの年代の人も生きづらい世の中なんだと。

その人の友人もが兵庫出身らしく、当時のことをよく覚えていたらしい、

けれど、次第に忘れていってしまう、今回の熊本の地震をTVでみて、

ああ、大変な時期がわしらにもあったんだ、辛かった、大変だった、

よくがんばった、でも、ここまでやってこれたんだ、思い出となる。

もう20年も経ってしまった今、忘れてるよ、と言っていたそうな、

つらい思い出、記憶だから、忘れたいに決まってる、

しかし、忘れてはいけないということもわかってる、

経験をしたのだから、って。

けど、人は幸せなことか残酷なことかわからないけれど、

次第に忘れていってしまうんだ。

 

僕は思った

ああ、わかるよその気持ち、

忘れていきたい思い出、けど忘れちゃいけない大切なこと、

自ら逝ってしまった友人のこととか不意に連想されたり、

なんでこのことを頭に過ぎったんだろう、なんて

そんな自分をまた責めてしまったり、考えてしまったり。

 

ともかく、人はいずれ忘れゆく生き物なんだなって。

今に満足できたら、それでいいんだ、生きる場所があるって

とても素敵なことなんだ。そんなことも思ったのかもしれない。

 

熊本大震災から、南海トラフの歪み、

日向灘が震源地となって少しずつ北上した地震

次は、東海大震災?

 

ここ十数年ずっと言われ続けている、名古屋の大地震

結局まだ来ていない、びくりとも揺れないプレート達、

ますます不安になっちゃうよね、

けど、考えたら怖くなってしまう、

けれど、考えてもどうしようもないんだ。

 

ネットや2chで日向灘が震源地の地震が起こったらそれは

東海大震災の予兆だ、なんて言われてるけれど、

本当に日向灘の地震がきちゃったじゃないですか、

どうするのさ、これから不安に怯えて生きていくのか?

 

どうしようもないんだ、結局

 

誰も悪くないんだ。

 

ここ最近、たまたま落ち込んでいて、

まぁ、いつも僕は落ち込んでいるんだけれどね。笑

Coccoというアーティストの曲を聴いていたんだ、

そのなかでもとても綺麗でよくわからないけれど、

涙が出てきちゃうような、訴えかけてくる曲があったんだ

 

ジュゴンの見える丘/Cocco

Cocco - ジュゴンの見える丘 - YouTube

 

前の震災の後、この曲がどこかでかかっていた、

(みんなご存知Mステでもこの曲がかかったらしい)

 

だから、か、地震が起こるとこの曲を聴きたくなる人も

少なくともいるらしいです。

 

もういいよ、

目を閉じていい、

もういいよ、

少しおやすみ。

 

沖縄には、ジュゴンの見える丘という、

絶滅危惧種ジュゴンを実際に見たことがない人が名付けた場所がある。

荒れる政治問題、米軍基地、環境破壊、減っていくものたち。。。

いろいろなことを全部丸めて、一曲として形作った、

歌詞自体はその、ジュゴンについて歌っているだけだけれども、

様々な思い、沖縄で生まれたCoccoの思いがつまっている、

 

ある日沖縄に2頭のジュゴンが美しく泳いでいた、

それは大きくニュースになった、

ジュゴンが帰ってきたんだ。

2頭のジュゴンのために歌ったその姿はとても。

僕の言葉からは表すことはできないさ、

きっと言葉にはできない、思いとやらは

曲を聴いてもらえばなにかわかるんじゃないかなぁ。

 

沖縄の問題、されど、沖縄、しかし、日本、

んーよくわかんなくなってきたなあ僕も。

 

 

「悲しみはいらない、優しい歌だけでいい...」

とにかく、そうなんだなって。

 

結局、誰も悪くないんだ。

 

 

自分の中で、なにもまとまらないまま、

沖縄、行こうってただそれだけは硬く決意した。

 

そんなに海が綺麗なら、もうそれだけでいいんじゃないのかなって。