明々後日のビシャモンテ

双極性感情障害パンセクゲイのひとりごと

8/11 ひとりぼっちの海水浴。

時系列は戻るけれども夏のお話、当日に更新したら身バレするかもとか〜とかとか意識しちゃったりして更新せず下書きに沈んでしまったおものを掘り返して投稿してみた。

 

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海。

 

これは海でライフセーバーをやっていた時の話だ。

いつものようにビーチパトロールを行き、安全を見守っていた。

子供だけで海で遊んでいたらちゃんと親や連れの方が近くにいるのか、見守っているのか、尋ねる。

 

この話はその時のお話だ。

 

今日もとてもいい天気だ。何事もなく、きっと終わる、大丈夫。

大きく深呼吸し、大勢賑わう海、浜辺へとパトロールへでた、

子連れや、カップル、友達同士の高校生、中学生、ヤンチャしてる人たち、ナンパ目的のガール達、、、ごっちゃごちゃなこの空間で、私は1人の少年を見つけた。

 

少年、おそらく小学2年生と言ったところか、いや、もしくはもう少し幼いか、その子は1人で遊んでいた。

 

こんなにも大勢の人で賑わっている中、こんないい天気の空の下、海の上で、1人で、遊んでいた。

 

私は声をかけた、こんにちはー!まずはそれだけ。そしたら元気よく「こんにちはー!!!」と帰ってきた。真っ直ぐな子供は純粋で可愛い。話を続けるのを遮られてこう聞かれた「お兄さんは誰?」

私は答えた、ライフセーバーだよ!んーー分かりやすく言うと、海の安全を守ってる守護者なのだー!

その子供は「おおー!」と納得したみたいだが、まだ仲良くなれてないので、話をしてくれそうになかったので、たまたまその子が左手首につけていたSplatoonのガチャガチャの腕時計をしていたので、もしかして手につけてるのスプラトゥーン!?私も大好きなんだそのゲーム!!と話したら、「僕も大好き!いいでしょーー!ねぇ、お兄さんの腕時計もかっこいいね、水に濡れても大丈夫なの?」

私は、大丈夫だよ、防水のやつなんだ!(おそらくコミカルなカラーのおもちゃのような腕時計をつけていたため同じようなおもちゃだと思われたのかもしれない。心配してたのだ)「ぼくのはねー!水にぬれても大丈夫な奴なんだ!ねね、ぼくもそのかっこいい時計ほしい!それってどこに売ってるの?ドンキにうってる?」

私は少し笑って、ドンキにも売ってるよ!と答えた。「それは水着とかプールの用具がうってるとこにある?」私は悩んだ、いやーーープール用具というよりかは、時計売り場に売ってるよ!と答えた。

興味津々な子供には丁寧に返答をしたくなる自分、それていく話、本題に持ち込めない、まだまだ未熟だなぁと実感しながらも、何気ないこの会話を楽しんでいた。あれもこれも疑問を持つその姿が微笑ましかったのだ。私はずっと笑顔だったと思う。

「ふーん」と少年が話すと、私のことを悪い人じゃないとわかってくれたみたいで、私は続けて話をした、お父さんやお母さん、もしくは一緒に海に来た人って君の近くにいるの?

少年は答えた「あっち、お父さん、休憩所で休んでる。たまに見に来てくれる、大丈夫」と、少し寂しそうに答えた。私は陸を見渡したがだいぶ遠く、いや、明らかにここからじゃギリ見えるか、見えないかの距離にいるみたいだった。人でいっぱいだったので、確認までは取れなかったが、しっかりとその子はそこにいるお父さんを見つめていたので私は納得した。嘘をついている様子も皆無だったから。

私はいろんなことを考えながらぼーっとしていた。

すると「ねぇみてみて!水しょっぱい!!!」そう言うと思いっきり目をつむってお尻から海水に潜っていった、海面に出てくると、ぎゅっとつむった目をパッと見開いて「きもちーーー!」と。それだけで微笑ましかったが、私に水に潜れることを自慢したかった気持ちが先走って、額につけたままのゴーグルを装着し忘れてしまうその心意気が私の色々な濁った感情を浄化してくれた。その純粋さに見とれていると、ニコッと笑顔になって、

 

「ねえ!いっしょにあそぼっ!」

残念ながらパトロール中であったので付き合ってはあげられなかった、ごめんね、と優しく伝えた。それでも、にっこり笑顔で、「またね!」って少し寂しそうだった。

 

隣で浮き輪につかまり揺られていた女子3人組が私たちのやりとりをみて笑顔になっていた。私はそこをじゃあね!またね!気をつけてね!なにかあったら、疲れたらすぐお父さんのとこに戻るんだよ!と過保護かと言うくらいに捨て台詞を残して、またね!とその場を去った。

立ち去る私と少年を見ていた女子1人が私にガッツポーズをくれて、ああ、なんて素敵な世界なんだと少し思った。笑顔で溢れている。そんな気もした。

 

だけど、だけど、あの子は1人なんだ、あの後もきっと1人で遊んでいたんだ。それが気になって、その子のことばかり気になっていた。

 

あの子は、遊んで欲しかったんだ、私と、そう、あの子のお父さんと、きっとあの子はようやく泳げるようになったばかりだったんだと思う。いや、泳げる、というよりも水を克服したと言っていいのかな、水に顔をつけて潜ることができるようになったばかりなのだろうと、私は思った。

 

頑張って、できるようになった、それを見て欲しい、僕はこんなにもすごいんだぞ、僕はこんなことできるようになったんだぞ、頑張ってるんだぞ、ようやくできるようになったことはとても楽しいんだぞ、一緒に海でちゃぷちゃぷ遊びたいんだ、一緒に、砂浜で押し寄せてくる波を飛び越えたいんだ、そんなことを告白したそうな面影があった。

 

ああ、ああ、そばにいてあげたい。

わかるんだ、その気持ち。わかりすぎるくらいなんだ。

さみしいんだよね、見て欲しいんだよね、すごいねって言って欲しいんだよね。わかるんだ。

 

ごめんね

 

 

いつか、また会える時がきたら、一緒に遊ぼうね。

じゃあね、またね。

9/30 殻破りの夕立が全てを。

私は今バンコクにいる。まるで夢のようだ、すべてが、夢みたいで、見るもの1つ1つが新鮮で、自分の頭の中では処理が仕切れないくらいだ。
 
あまりにも。
 
僕はいろんなことを教わった。
大事なことは何か、できることは何か、そのためにするべきことは何なのか。
今までの死んだような時間が何だったのかと疑ってしまうくらいに、変わった。
とても楽しい、楽しいんだ、それ以上にこれを端的に表せる言葉は思い浮かばないし、難しく考えることもないのだと思った。
今まで、目標がなかった、というか失った、消えてしまった、薄れてしまってからだらだらと生きて来た、生きていたのか死んでいたのかもわからない。でもいつでも死ねる、いつ死んだって別にいいやくらいに考えていたんだから生死の境界線なんてあんまりなかったのかもしれない。
 
かといって目標が新しくできたわけでもない、今だってただ漠然と息をしているくらいだ。でも、それでもすごくワクワクしてる。この人生にワクワクしてる。久しぶりである。
 
あれもしたいこれもしたい、そういうものがとてつもなくのしかかってきた、もちろん良い意味でであるし、きっとそれを成し遂げるにはそれなりの代償や努力が必要だろう。
 
知れば知るほど自分が無力であること、無知であること、努力が不足していることを実感する。
 
 
ちなみに今回のバンコク旅行は、たまたま銭湯で再開した10ヶ月位前に少しだけお話しした友達の友達、Sさんと来ました。そのお兄さんはもともと一人でタイにふらっと行く予定だったみたいで、もしよかったら来ない?ってなり、俺は即決でいきます!とここまで来てしまったのである。自称歩く地球の歩き方、英語もタイ語も話せて流石である。そんな一度ちょっとあったことあるくらいの人にほいほいとついていってよいのか??と疑問符もあるが、自分が信頼できる友達が信頼している友達であれば俺がその人のことを信頼できるのは何も矛盾することはない。どこまでもついていきまっせ!てきな。笑
 
 
Sさん、本当にカッコイイ。久しぶりにこんな”出会う前と出会った後では自分が変わってしまう”様な、素敵な人と出会えたと確信する。何もかもが自分のずっと先を行っている。12年ちょい、一回り程年齢は違う、その年だけ差があるのは当然なんだけれども、余りにも、余りにも先にいるから、なんだろう?嫉妬してしまう?のかな。憧れもある、劣等感は感じたらいけない、追いついていないのは自然の摂理なんだから。12年ちょっとやそこらで俺はどこまでいけるのだろう。逆に今まではどれだけ若さに固執してきたんだろう。今しかない今しかできない、今じゃなくちゃ全てが終わりなんだって。思ってた。けど今は違う気がする、先は長いんだって、先にも楽しいこと沢山沢山あるんだとわかった。それはとても自分にとって大きなことで生きる糧になる。今までは生きる糧がないまま、目の前にぶら下がってるにんじんすら見えない状況でもさまよっていた気がする。
 
 
とてつもなく抽象的な話しかしていないけれども。これを読んで伝わることはなにかしらあるのだろうか?意味があるのだろうか?
そう、意味について、自分はいつも意味について、理由についてを求めてきた。
生きる意味だとか理由だとかいつもどんな場面でも求めてきていた。でも、それが必要か必要でないか、それについてはいつまでもわからないままだけれども、問い続ける意味は必ずあるはずだし、その中でも訳もわからず流れていくのもきっと素敵なことなんだと感じた。
 
 
ここ(バンコク)に来てから、おいしいものをたべ、違う世界を、文化を目にして、また美味しいものを食べて、刺激的な世界に飛び込んで、非現実というこの空間の現実を受け止めて行って、少しずつ、少しずつだけれども生きる活力というものが、生きるその、身体中にからっぽに干からびていた生きていくちから、その様なものが少しずつ流れていくのを感じる。
 
生きる必然性、なんて言葉の意味は自分で言っておきながら全くわからないけれども、きっとそういうものなんだと思う。
 
この腐敗した世界に産み落とされた?なんて誰かが歌っていたけれども、生まれたからには、生きる必然性をもって誰しもが生を受けるんだなって、なんか一人で納得して飲み込んでました。きもみisあるね。

9/25 最高で手放せば幸せはずっと続く。

今日も朝に寝て起きたのは夕方だった。
こんな毎日、消えて仕舞えばいいのに、生きてる理由も意味も見出せないのなら、答えられないのならば今ここで死んでいく理由すら見つからないのだと思う。
 
ふと、今日何もせず1日が終わっていくのが怖かった。
とりあえず家から出よう、いや、部屋から出ようと思った。
お腹も空いていたし、何も食べてなかったから、とりあえず家を出た。
 
何をしようとしていたんだろう、Macbookも持ち出して、どこへ行こうと思っていたのだろう。きっと、とりあえず服を買い行こうかな?とか、だけれども19:00とかそこらへんの中途半端な時間だったから、きっとそろそろ閉店の時間、どこものんびりはいられないだろうなぁなんて。とりあえず栄へ向かった。
 
嗚呼、そっか日曜日の終わりか、この頃雨続きだったからかデートするカップルやいろんな人たちでこんな時間にもかかわらずたくさんの人が街に溶け込んでいた。
 
それから、意味もなく大須へ向かった。とりあえず寝汗とかで身体中がべたべたしていたのがずっと気になっていた。だから今日も今日の終わりにはいつもの銭湯に行きのんびりと、のんびりをして、今日が終わり、帰って寝ればいいのかな、なんて誰に答えを求められているわけでもないのにそんなことをぼんやりと考えていた。
 
大須赤門通り、喫煙所、ふっと今に疑問を持ち続けている以上、なぜ自分がそこにいるのかわからなくなる。目の前にあるメイド居酒屋の店員がかわいらしくビラと笑顔を振りまいていた。
 
そこから、どうしたのか、何を考えていたのかもわからない、Macbookせっかく持ってきたから、どこかで飯とかカフェとかで満たされながらなにかしらの作業をしたかったのかもしれないし、するつもりで持ってきたんだとふと思い出した。
 
 
でも、やっぱりやる気も決断も何もできないままだった。
とりあえず銭湯へ行った。
 
ここはまぁ安いし広いし施設も整ってるし便利だしってことでよく利用しているが俗に言う発展銭湯だ。まぁ、ここ最近は色々と厳しくなってきているので堂々とセックスしたり抜きあったりする輩はそうそう見かけられないけれど、まぁ自分にとっては都合のいい場所だと思っている。
 
ここで出会う人たちは、友達でもないだろうし、きっとセフレとかに近いものなんだと思う。それにお互いアプローチをして声なり肌なりを交わして知り合って連絡先を交換して、そこからいったいどうなるんだ、なんてわかったもんじゃないさ。
 
でも、ここは自分にとって最高に都合のいい場所なんだ。
まず、ここはゲイバーではない、だから無駄に多くを語る必要もないしお酒を飲む必要もない、お風呂に入りに来た、ただそれだけの理由でいいんだ、お金もそれほどかからない。
そして、発展場ではない、だからみんながみんな目をギラギラさせて獲物を求めてセックスという快楽だけを求めてやってきているわけではないということ。発展場なんて出会いを求める場所でもないし、本当にセックスだけをしてさよならをする限りなくグレーでアウトな場所であもあるしね。ヤッたら終わり、用無し、さようなら。
 
まぁ、最前提として公共の場所である。ゲイが堂々と調子に乗っていい場所でもない。でもそういう噂が立ってる以上…というか、こんなに便利な場所誰だって利用するでしょ。それがただ、ゲイの間でも噂されてるからくる人が多いってだけで。
 
不思議なことにお仲間さんってだいたいパッと見てわかっちゃうんだよね、これは本当に当人たちにしかわからないレーダーみたいなものなんだけれども、僕たちにはそういうものがあって、そういう人を見つけたら何かしらアプローチしたり声かけてみたりするんだよね。やってること自体最高にくそなことをしているね。ずっと前にそういう最低なことに散々愚痴を言っていたのにね。笑っちゃうよね。
 
こういうところに出会いを求めてくる、いや、というか出会いを求めてるんじゃなくて、お風呂に入りにきたらさ、たまたまいい出会いがあったんだよね。みたいな、言い訳というか、目的が最優先事項ではないっていうのも大事なのかもしれない。もちろん、ただお風呂に入りに来てるだけって動機できてるしね。
 
 
そんなかで一昨日は素敵な人に出会った。東京から来ている人でとてもノリが良く、はきはきとしていて見た目もすごく魅力的で惹かれてしまった。たまたまサウナで二人だけだったので喋ることになって、まぁ向こうも自分のことを気に入ってくれて連絡先を交換することに。今から車で東京帰る、仮眠するって言ってて、今25:00とかそこらなのに。なんか、ちゃんと自分を持った今までにない感じの人だったから、うち、来ます?って部屋に呼んだ。いいの?って言われたけれど、別にこの世界そういうのも別に特別なことでもないし、俺は自転車を銭湯において彼の車に乗り込んだ。うちまで案内した助手席からの景色、これは何回目なんだろうな人生でって。見知らぬ人の車の助手席に座るたびに思ってしまうグレーな人生を歩んできた自分とそういうセクシャリティの世界で生きている自分に対して憤りもまにまに感じるんだ。
 
もちろんめっちゃセックスした。なんてそんなことを聞きたい奴なんていないだろう。腐女子だって生ものは無理て人がいるくらいだもんな、ましてや身近な人のそういうのって一番聞きたくないよな。
何というか、見知らぬ人であるからこそ今自分が置かれてる状況や悩みとかだらだらと全部話してしまった。そしたら、その人もそれなりに苦労、、、というかそりゃ自分と同じくらいの歳の頃は、みたいに色々と語ってくれた。ちなみにそのお兄さんは31歳とかそこらだったと思う。俺がタバコ吸いに屋上行くけど、行く?と聞くとなんか喜んで付いてきたのがちょっと可愛かった。そこでも29:00とかの夜空とは言えない夜の空を眺めながら。また語った。その人は一通り俺の話を聞いた後「羨ましいよ、」と言った。そして「俺も忘れかけていた何かを色々と思い出したよ、ありがとう」と。広い空を見渡せるこの場所に居られるのはとてもいいねとも言っていた。
 
それからその人の仕事の話や、昔の話とか、色々聞いた。
 
 
まぁ、オチはないんだけど思いっきり抱き合って寝た。なんか満たされた気がした。ずっとこの時間が続けとも思った。そんなもんなんだなとも思った。
俺のいろんなことを褒めてくれて、認めてくれたのはとても嬉しかった。さすが管理職とかになると違うんだなぁとか適当なことも思っていた。
 
 
本当、なんだろうなぁこの生活、なんて思った。正直色々話したりしていくうちに意気投合して、とても楽しかったしいずれLINEで連絡をやりとりして何回かデートを重ねていけばいずれ付き合うことになるかもしれないってくらいにまで思っていた。いったい何なんだよ自分は。期待してしまう自分もいた。だけれどもこんなこと繰り返していても幸せにもなれないのかもなんてわかってしまう気がした自分もいた。
 
屋上で肩を触れ合いながら語り合っているときに、ふと思った。
そういえば大好きな彼氏とここで思いっきり抱きしめあって別れることを告げたんだっけって。この、朝焼けの悲しいくらい綺麗な場所で別れたんだっけ、なんて上の空で遠くの空を眺めてもいた気がする。きっと眺めていた。
 
思いっきり俺の部屋のシングルベッドで抱き合って溶けるように寝た。起きたら日が昇っていた。夕方から用事があるので帰るよというので見送った。自転車を銭湯においてあるしってことで俺もそこまで乗せてってもらった。本当に楽しかったし、幸せな時間だった、さよなら告げて、また会おうとも言った。
 
 
….そんなこんなの今日なのに、まだ2日そこらも経っていないのに、今日1日が何にもいないことで終わるのが寂しくて、まぁこの後飲みにでも行こうかなぁなんて思いながらも銭湯にたどり着いた。今日も今日とていい男探し、みたいな。くずかよーって思うところもあるけれど、とにかくべたべたな体に勢いのあるシャワーを流したかった気持ちが兎に角強かった。
 
続きはまた明日書こうかな。
 
何があったのかって、ネタばらししてしまうと
ここで元彼(前々回)、前に好きだった人、2年前に好きだった人、知らない人だと思っていて連絡先交換したら実は友達な人、1年前のセフレ、数ヶ月前に色恋ていた人と遭遇したよ。なんかもう登場人物多すぎるし走馬灯かよってレベルだよ。
 
おしまいだよ
 

www.youtube.com

この曲でも聞いて寝ようね。Duty friend

好きだよと言われるほど、突き放したい

突き放せてしまえるほど、私、綺麗じゃない。

 

 

てなことで、おやすみ。ヴァモスカンタール