◆僕の400日戦争。(Lyric)
2/14 朝が始まる前までの解答例はわからない。
夜が明けない。
今は、2/15 4:34いや、2/14の28:34と言った方が正しいのだろうか。
この曲とともに綴っていこうと思う。
「Forever Tonight」Garantisの。
夜が明けない、夜は長い、けれどもいつか終わってしまう。
終わってもまた始まる。始まるとまた終わる。面白いよね。
ってとうとう頭がいっちゃったか!?みたいな反応は違う。
いつもこの時間になると、ああ、夜なんだなって思うんだ
同じような気分で、落ち込んだり燃え上がったりしながら。
ある意味この時間帯で時が止まっているようなそんな気がするんだ
この時間の時計を何回も何回も見てきた。
まるで精神と時の部屋だ。
いつまでもゆっくりと流れ続けていく、
部屋でひとりきり、屋上に行き煙草を吸って部屋に戻り、ネットを漁り、夢を描く、凹んで、どうしようかどうすればいいのか悩みながら悩みながら、どれだけ考えても答えは出てこない。行動しないとそれが正解なのかも間違いなのかもわからないのにね。
それでも僕は考える。過去のこともまた振り返ってしまう、
時には明日のこともこれでいいのかそれじゃまずいのか必死に考える。
いつも卓選びなんだ。ここで正解を選ばなきゃ駄目なんだっていつも絶望しているんだ。
部屋に引きこもり、散らかった空間を見渡すこともなくMacと向き合う。
たまにキーボードを弾き、しょっちゅうゲームを起動し、何をしてるんだと絶望する。きっといつも絶望している。なんでだろう?わからない。
けれど、俺は迷っている。いつも迷っているんだ。必死に考えている。
今は今しかないからだ。とくに20代初期の大学生とか、なんだってできるじゃんって。だから悩むんだ。まぁ、きっといくつになっても悩み続けるんだろうけれども。
それはなぜなのか?今ってさ、例えば新しいことに挑戦しても割と「まぁ、若いからね」とか「経験値が浅いから」とか許してもらえたり、「これからやりたいこと見つければいいよ」だなんて優しい言葉をかけてもらえたりするもんだ。割と、""""若いから""""っていう呪縛は沢山ある。俺も若いから、大人の人にいろんなところに連れてってもらえるんだろうと思っている。
2016年だけで言ったって、ZEDDのライブもしかり、神戸の旅行や温泉、沖縄の旅行なんて2回とも無償で(飛行機代からホテル代、食事代に交通費、車の運転からガイドまで全部相手が出してくれた。いまは甘えて人生経験しとくんだぞって意味も込められているのかもしれない。)
先月に行った福岡旅行だって、飛行機の便予約してもらい(もちろん相手払い)、空港まで車で迎えに来てもらい、宿もあり、美味しいものも全部相手のおごりで遊んできた。
きっとそれは、若いから。学生だから。
いろんな人にちやほやしてもらいながら、ね。
(まぁ、そりゃそれに繋げていけるようなコネ作りや自分磨き、勉強もして甘えさせてもらえるようなところまで持って行っていける努力も多少なりともしたけど)
もし、20後半になったり30半ばになってもうだうだ迷っていたり、失敗がわかりきってるような無謀な挑戦をしようとするとしたら、それはそれで応援してくれる人や慰めてくれる人だっているだろうけれども労力も、勢いも、若さもなく、きっとやるべき仕事やさらに縛られていく何かが待ち受けているかもしれない。それにおっさんになってから投資してくれて面倒見てくれて全額出してくれる人なんて現れないと思う。
おそらく今が一番何も縛られてないのかもしれない。
とか言いながらもいつも何かに縛られているんだけれどね。
例えば俺はいま迷っていることといえば、
大学について、ちゃんと卒業できるかな?とか、まぁまともに授業受けてレポートに専念してクソ真面目に学校通っていれば卒業なんてできるんだろうけれど、それにさえもいつも疑問を持ってしまう。それだけで終わらせていいのかな?とか。学校も通いつつプラスアルファも得たい、そんな欲が健全で勤勉で安定した学生生活を邪魔するんだ。
それだけで終わらせちゃもったいない、なんて。
他にも、挑戦したい!とかやってみよう、なんて思って某部活に仮入部をした、普段やっているジムイントラの知識や経験を生かして、先輩の後押しもあって。正直楽しかった。やっていけるかなとかも思った。けれども今また迷っている。それはなぜ?それに1年間捧げていいのだろうか、なんて、それを本気でやっている人たちがいるのに、片手間にやっちゃっていいのだろうかなんて思った。それに、自分も輝きたいって思ったし自分が競技者としてなにか成し遂げたいと思った。だから迷ってた、今答えはでたかもしれない、ここ最近ずっと悩んで考えた、いろんなものを天秤にかけながら。違うかもしれないと思った。
自分を縛るものをこれ以上増やす、上に周りに迷惑をかけるかもしれないであろうことに無理やり参加するリスクなど考えたら、違うのではという結論に至った。俺も若いっちゃ若いけれども、みんなはまだ19や20のかわいこちゃんたち。今年23にもなる俺が途中からチーム競技の一員としてやっていけるコミュ力や自信がなかった。それにわざわざ自分の得意としないフィールドで戦うのもそろそろ考えた方がいいのかなっていうのもある。
ほかには、今のバイトを続けていくかどうか、だとか。いくつか迷っていて答えはきっとすぐにでないものがある。
きっと若いからだ。若いから悩むんだ。けど決して若くはない。
途中からなにかを始めるってことは、簡単なことじゃない
そして
途中でなにかをやめるってことも、難しいことである。
こうして難しい世界で生きてるんだ俺たちは。
答えが最初からわかってたら面白くないというくせに、
道標がわからないと右も左もわからず歩き出す一歩さえ踏み出せない馬鹿なやつなんだ。
教えて欲しいのに、知りたくない、
矛盾だらけの人生。
けれど夜は明けるんだ、今日も。
そしてどんなに苦しくても笑っていかなきゃいけないんだ
2/3 風、髪に感じて、空を眺めてますかね。
何もかも満たされて、恋人も友達もいて、
自分を受け入れてくれる家族がいて、
苦しい時に帰る場所がちゃんとそこにあって、
学費を払ってもらえてる上に仕送りまでして貰って、
バイトは順調で趣味程度に楽しくやって、
職場仲間と楽しく飲み会しちゃって、
カムアしたら見守ってくれる友達がいて、
綺麗な海でBBQをしながら夜を明かしている連中を横目に。
-2017/2/2 21:08
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Now 2/3 4:13
とてつもなく死にたい。
これはいつものことだ、今に始まったことじゃない。
死にたいっていうよりかは消えたい。
これはきっと逃げなんだと思う。
行く宛もない、心が寂しい。
自分は何をしているのだろうか、
午前3時の四畳半でなぜ死にたいと悶えているんだろう。
もっと楽になってもいいと思うんだよね。
どんどん頑張らなきゃいけない方向に自分をもっていって
アホじゃんただの、後先のことを考えてない、馬鹿じゃん。
まぁ後先のこととか未来のこととかひたすらに考えて考えて考え続けているから悩み続けるんだけれども、これも矛盾してるよね。意味がわからないね。
とても泣きたい。ひたすら喚いて大丈夫だよって慰められたい。
思えばいつも俺は茨の道を歩いてきた、
得意分野でここ数何年戦ってないんじゃないだろうかというほど。
いつも、苦手な分野に憧れを持ってひたすらもがいて生きてきた。
それも言い訳。得意不得意とか言い出してもキリがないよね、
どれだけ時間を注いだかに寄るじゃんそんなの、
例えば英語が苦手〜〜〜って言ってるやつなんかきっと毎日3時間単語だけを覚える苦行とも言える勉強さえしたこともないのだろう。数学が苦手って言ってる奴は、単調でつまらない、面白みの欠片もない計算問題だけがひたすら乗ってる問題集を1A2B3Cの6冊をひたすら繰り返すだけの日常を経験していないからだろう。
まぁ、俺の大学受験勉強のスタートラインを振り返ったってなんの面白みもないんだけれども。つまりそういうことだよね。
やってこなかったことはできるわけないじゃん。
これ読んでる人は知ってると思うけど(まぁ知らなくてもいい)
自分は高校時代全くと言っていいほど勉強をしてこなかった、
一応は市で2番手の自傷進学校だったからその時点で土俵が違うんだろうけれど、まぁ学年ではいつも下から数えた方がという感じだった。
ご存知あの1年間は色々あって絶望の年であったから、
ずっと生き霊みたいに死んだ目で、気を使ってくれる友達に気を使ってただただ息ていた。
そんなもんだから高校3年生で追い込んだってわけにも行かなかった。
まぁ、いつかあの高校時代の思い出も書き綴るとするとして、
浪人した時、本当にそこから始めた。単語や計算問題、くそかよってくらいトランス状態入ったあの時は泣きながら頑張った。
頑張ればなにか報われると思った、幸せになれると思った。
ってか突然の過去話や受験語り、最高に気持ち悪いね。
大学に入ればなにか変わると思ってた、
向こうには何があるのかな、夢を描いてた、
勉強中はよく自習室の個別机の正面に大学生になったらやりたいこと、やっていきたいこと、憧れや希望を描いたノートの見開きを立てかけて勉強していた。
いったい何を書いていたんだろう。すごく頑張ろうって思った。
今日はいったい何を書きたいのか、僕の脳みそはよく分からない、ただ、感じるまま、両手がタイピングを続けていく、まるで自分の意思で制御していないかのように。目を閉じて、Macbookのキーボードに手をおけば勝手に文章が綴られていく。何も見る必要もない、目を開ける必要がない、触覚だけを、指先の感覚だけを使って脳みそを垂れ流していく、行き場のない苦しみを吐き出していくんだ。
借りぐらしのアリエッティの曲、Arietty Songだっけ、そんなようなタイトルの曲、セシルコルベルが歌ってるやつ。めちゃすき、よく予備校まで通う時駅まで自転車をこぎながら歌ってた。
「向こうは別の世界」って。
"誰かに会いたい"っていつも思ってた。
わからない。わからなくなった。。。
現役の時からセンター試験も200点も伸び、ボーダーだった8割を超えて、やればできるじゃんって。それでも結果は惨敗だったんだ。悔しくて悔しくて。
よくわからない、いつのことなんだろう。
前期試験の合格発表の日、記憶があまりない。
とにかくWalkmanの曲をひたすらひたすらに聞いていた。
僕はその記憶がある。ずっと「春よ、来い(松任谷由実)」を聞いていた
この曲は本当に大好きな曲で年間何十万回も再生している。いまでも変わらずずっと聞いている。こういうことするやつがメンヘラ体質、サイコパスって認定されてしまう原因な傾向であるって聞いたことがある。まぁそれはいいや。そんくらい好きで、当時もずっと聞いていた。
いろんな思い入れがある曲だからだ。いずれこの曲についても描こう。自分にとって自分への応援歌であり、レクイエムであり、そばでずっと流れ続けていく曲であることは間違いない。
とにかく、合格発表の日、手応えは全くもってわからなかった。
正直、浪人勢みんなでいどんだ旧帝大の受験までの日々は楽しかったのかもしれない。いまこれを書きながらいろんなことを思い出して涙が出てきそうなんだ。
ネットで合否を見ることもできたけれど、俺はそれをしなかった、わからない。けれどまぁ自宅で見てもどんな結果でも煮え切らない気持ちを抑えきれなかっただろう。一人で行き一人で見て、一人で。
あの大学の最寄りにつき、見慣れそうになった階段を上がって広場に出る、講堂前に番号が掲示されるシステムになっていた。
もう、ずっと自宅から「春よ、来い」は流れ続けていた。ずっとずっと。どこから言っていいかわからないけれど、人ごみをかき分けて番号を見に行った。そこに自分の番号はなかった。
わからなかった、これが現実なんだって。あんなに頑張ったのに、追いかけてきたのに、自分はこんなものなのかって、それといってあっさり受け入れたかもしれない。
さ、次、みたいな、そんな感覚で淡々とその大学を離れた気がする。どこにいっていいかわからなかった。行く宛もなかった、家に帰る勇気もなかった。
居場所がなかった。
よくわからないけれど、都心部に降り立った。
そこの近くには芝生があった。俺はしばふに思いっきり寝転んだ。
3月の初めにしてはとても暖かい日だった。
太陽が眩しかったのを覚えている。
俺はいったいどうなるんだろうなって、目を閉じた
眠れなかった。興奮が、要らぬそれが鳴り止まなくて。
自分の受験番号がなかったときもあの曲が流れてた、
音は多めに設定してあった気がする、
アメフト部が合格者を胴上げしていた、
喜び親に抱きつく人がたくさんいた、
現役でこの大学に合格した高校の同級生も運営などでちらほらみかけた、
話しかける勇気はなかった、
そっと逃げたんだ。俺はそいつらに100歩200歩及ばないどころか、手の届かないところの空気を吸っていたんだなって。
たくさん、たくさん人がいた、こんな大勢の中で祝ってもらえたらどれだけ嬉しいだろうなって思った。
ドンドンと太鼓の音や、歓声の声、響き渡る声、ざわざわと、
春よ来いの向こうから聞こえて来る、とても暖かい声の響きたち、
それでもずっと春よ来いは俺を守るかのように流れ続けていた。
目をさます、5分ほど、芝生の上で寝ていたのかもしれない。
当時の自分は何を考えていたのかわからない、
名指しで出すのはすまねぇと思うが、
OP(高校からの大親友)に電話した、
何を話したのか、あまりよく覚えてない、
泣いていたのかもしれない、俺は、
だけれども、話していた、
そして、ふらふらと立ち上がり散歩しながら電話していた、
めちゃくちゃ悲しかったのに、
OPとの電話はすごく楽しかった気がする。
なぜか前向きになれた、前を見れた、大丈夫って思えた。
今でも感謝してる。
そこからの記憶はよくわからない。
急にどうしてこんなこと書き始めたんだろう俺は、笑っちゃうね。
そうそう、素敵な大学生活の話さ。って?笑
いま、こんな大学生をしているよって、胸張って言えないなぁ俺。
4年前の自分ともし話すことができたらいったい何を話すだろう?
いつから夢をみなくなってしまったのだろう?
現実直視を繰り返していくようになったんだろう?
いつから人を蔑むようになってしまったのだろう?
この文章を書いている間にも喜怒哀楽が次々と展開されていく、自分が3秒前に考えていたことや、5秒後の気持ちはまた違うものになっているのかもしれない。そんな気がする。
それでも僕という根本的な人間はかわらないさ。
あ、でもね、こうやって目を閉じてだらだら吐き出しているだけでも精神的にとても落ち着いてくるんだ。自己との対話ってやつ?よくわからないけれど、整理されていく感じなのかな。
今日のいまさっき、この記事を書き始めた時は猛烈に悲しかったし寂しかった、癇癪起こしてわめき散らしたかった、とても死にたくて、消えたかった。
だけど今は少しちがう、大切な思い出に触れられたからだろうか?よくわからない。
でも少し楽になってきた。きっと安定している時の日記ってさほど面白いものではないと思うからこれくらいにして幕を閉じようか。